カレー屋(EXA)

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何処へでも行ける切手

2019-03-13 21:25:00 | スポーツその他




本日、3月13日。

市ヶ谷チョコレート広場で行われた記者会見で、
里歩選手の、7月2日新宿FACE大会を以ての我闘雲舞退団、
及びフリーのプロレスラーとして今後活動していくことが発表となりました。

各所で…というか何よりも、
私個人にとっての動揺が広がっており、
まとまらない心情をとりあえず刻んでおこうと思って、
精神安定のために例によって文字を打ち始めてます。



いまさら説明することなどないかとは思いますが、
里歩選手は我闘雲舞所属の、キャリア13年目のプロレスラー。

元々さくらえみ主催の体操教室(アクション体操)で学ぶ中で
プロレスの技術を身に着けていき、
2007年に弱冠8歳で“りほ”として、
高橋奈苗(現・高橋奈七永)相手にデビューという、
おそらく当時物議を醸しまくったであろう出自の
いわゆる“キッズレスラー”の先駆者。

しかし持ち前の運動神経と、
その唯一無二の出自をものともしない佇まいでキャリアを積み上げ、
アイスリボンではICE×60王座を戴冠したり、
義務教育中でありながら後楽園のメインイベンターを務めたりと、
プロレス界のオンリーワンに成長。

他団体や他団体選手と関連しての活躍も顕著で、
アイスリボンでは佐藤悠己(きゅん)とインターナショナルリボンタッグ王座を獲得、
DDTではケニー・オメガ&ミスター6号とともに日本海認定世界6人タッグ王座、
及びケニーの王座譲渡に伴い、
グレート小鹿&ミスター6号&りほ組という
奇想天外なタッグでUWA世界6人タッグ王座にも就いています。
暗黒プロレス組織666では、同年代のラム会長ともライバル関係を築くなど、
インディープロレスシーンに不可欠の存在感をもつプロレスラーでもありました。


[2010.9:アイスリボン後楽園大会にも足を運びました]

一方で、件の後楽園メインでは、自身の成長に従って
「今と同じプロレスが今後できない」という、
おそらく里歩選手…当時のりほ選手にしか訪れたことのないであろう
孤独な悩みをリングで吐露する場面もあり。

これまで誰も進んだことのないキャリアラインを進む、
いわば開拓者として、個人的にはとても敬意を持っているところでもあります。

さくらえみ選手のアイスリボン退団→我闘雲舞旗揚げを契機に、
りほ選手も我闘雲舞へ移籍。
成長に従って試合スタイルも変化し、

DDTのHARASHIMA選手から“そうまとう”を譲り受け、
フィニッシュホールドとして定着。
高校卒業を契機に、リングネームを漢字の“里歩”に改めると、
我闘雲舞ではIWA3冠王座を戴冠するなど、エースとして君臨。

我闘雲舞で開催した後楽園大会では2度ともメインを務め、
また、シングル王座であるスーパーアジア王座、
シンガポールの女子シングルタイトル、クイーン・オブ・アジア、
真琴とのタッグでアジアドリームタッグと、
アジアの名を冠する3冠を保持する、アジアの誇る絶対エースとして、
その座を揺るぎないものとしています。



さくらえみ選手の元で13年、キャリアを築いてきた里歩選手。
一方で「自分の意志でプロレスをしているのはここ数年」とも時折口にしていて、
“アクション体操”の延長としてプロレスを行っていた時期と、
高校卒業から“社会人”としてプロレスに取り組んでいる時期とでは、
その捉え方が異なっているようなところについても
しばしば言及されていたように思います。

個人的な里歩選手についての印象やらアレコレとしては、
そもそも多分、映像として初めて触れた日本の女子プロレスが、「りほvs真琴」。
WWEかぶれを3〜4年続けてきた身に、
その映像のインパクトは抜群で、
TNAやWWEの映像と、夜中やってた全日本プロレス中継の映像とともに、
試合動画をよく見ていたように思います。

2010年からDDTを観に行くようになって、
何故かSTILE-Eを観に行ったときにチェリーさんが売ってたチケットが気になって、
“真琴&飯伏幸太vsアジャ・コング&大家健”
“りほ&田村和子vs佐藤光留子&ランジェリー武藤”
というカードが並んでいて戦慄しましたね。
どう見ても、観たい。


[2010.4:最初に観に行った女子プロレス、ファンタジーイリュージョンにて。]

ということで、割とプロレスの“原初体験”の中に、
りほ選手の存在があったりします。

特に、それこそ“社会人”になってからの里歩選手の活躍ぶり、
というか試合ぶりには眼を見張るばかりで、
キャリアを13年重ねてなお、著しく成長を続ける様、
現役選手の中で唯一無二のキャリアラインを、
物凄い勢いで広大に開拓していく様に、
敬意やら畏怖やら尊敬の念を持って、
同時に、ワクワクしながら見ています。



ケニー・オメガAEW副社長がインタビューで里歩選手の名前を挙げているのをみて、
我闘雲舞を離れるという未来についても想像しなかった訳ではありません。
が、その未来は、思ったよりも早く訪れた、というのが、
今の私の動揺の根本にあります。

自分の好きなレスラーたちの、好きなプロレスが、
好きなときに好きなだけ見れる空間である我闘雲舞。
その贅沢を今まで僕はどれだけ享受していたのか。
改めてその有難みを噛み締めないといけません。

もちろん今回の退団の経緯はAEW等海外の特定プロモーションとの契約ではない、
との発表は理解していますが、でも、里歩選手のキャリアの先に、
世界の大きな舞台で活躍する姿があろうことは、
昨今のアジアでの戦いぶり、熱狂ぶりからは疑いようのないところです。


[2018.12:NTW]



里歩選手はすでに、自身のプロレスがどこでも、
誰をでも驚かせ、熱狂させることができることを、
日本の、世界の各地で証明し続けています。

アジャ・コング選手は、プロレスを通じた戦いを「共通言語」と評していた
ことがありました。

プロレスという戦いの技術、表現は、対戦相手、
そして観客との会話の手段でもあり得ます。
同時に、会話が成立すれば、受け入れられれば、
やがて、世界にその存在が求められる。
その場所にいてほしい、来て欲しいと、望まれる。

人を惹きつけるプロレスラーは、
何処へでも行ける。



もうすぐ、故郷を発つ唯一無二のプロレスラー。

その前途が幸多からん事を祈念するとともに。

そのプロレスが、広い意味で、世界を驚かせることを確信しています。


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