カレー屋(EXA)

エキプロ5で遊ぶブログでした。もはやその名残りはほぼない。

大家健 once more

2021-04-06 22:00:00 | スポーツその他
カレーです。

ガンバレ☆プロレスの実に4度目となる後楽園大会が、
4.7(水)に開催となります。

メインイベントは大家健vs佐々木貴の蛍光灯マッチ。

この試合に先立ってのガンプロYou Tubeチャンネル内の放送で、
この日から大家健選手は、ガンプロを立ち上げた当初の、
白のノースリーブ+ジーパンという、
テリー・ファンクや大仁田厚に象徴され、
近年ではディーン・アンブローズakaジョン・モクスリーも纏った、
ハードコア&インディペンデントスタイルの装いに戻すことを明らかにしました。

しかし、その発表に対し、
ガンバレ☆プロレスを大家健とともに
歩んできた今成夢人が一つ、問いを投げかけます。

“では、赤パン時代はなんだったのか”と。



2013年、大家健のユニオンプロレス追放に伴い、
“5万円で旗揚げした”大仁田厚FMWにあやかるように、
今林GMのポケットマネー1.5万円で旗揚げすることとなったガンバレ☆プロレス。

旗揚げ当初から、その“インディペンデント”な空気を体現するかのように、
大家健選手が身に纏っていた白のノースリーブ+ジーパンのスタイルは、
次第に代名詞のように定着化。

プロレスキャノンボール、マッスルメイツの2015、KO-D無差別級戴冠、
そして、ガンプロ初の後楽園大会の成功。

“大家健”という記号は、このスタイル+BAD COMMUNICATIONと、
もはや切っては切れないものとなりました。

石井慧介を相手にインディペンデントジュニアを落とし、
また、石井自身がDDTからレンタル移籍を発表。

さらに活動休止の決まったDNAから岩崎孝樹が加入したことで、
ガンバレ☆プロレスの“戦力”は一気に増強。

ガンバレ☆プロレスを立ち上げてから、負けても、負けても、
負けても立ち上がって這い上がり、いつしか勝利を手にしてきた
大家健選手は、ユニオンプロレス時代に比して、
特に勝敗という意味において、格別に“強く”なりました。

ただ、二人の加入、今成夢人のレベルアップ、
翔太の入団、復帰、
星野真央&鷲田修平(現・櫻井鷲)…

大家健だけではなく、ガンバレ☆プロレスは、強くなっていました。

そして強くなった中で、相対的に“強さ”の順位の下がった大家健が、
1ヶ月ほどの失意の失踪を経て…
絞り上げた肉体とともに生まれたのが、
“赤のテンガロンハット&赤のショートタイツ”の大家健でした。



目一杯赤を基調にしたコスチュームと、
新しいフィニッシャーとして引っ提げた垂直落下式ブレーンバスター。

…この2つから私がイメージしたのは、“ユニオンプロレスの”大家健でした。

大家さんは自身でこのユニオン時代を、
「負けてばかり」「弱かった」「駄目だった」などと
比較的自身のことについては否定的な言葉で修飾している気がします。

しかしながら、私が特に好きなのはやっぱり、
このユニオンプロレスの大家健だったりします。



ご自身がよく語る失踪のうち、おそらくは2度目の失踪からの
復帰のあたりでユニオンプロレスの一員となった大家さん、
“取締役アルバイト”という謎の肩書でDDTプロレスの売店を取り仕切り、
一方では大鷲さんにイジられたり、時折心に残るいいことを言ってみたり、
かと思えばあっさり負けたり、でも唐突に覚醒したり、と。

大変目の離せないプロレスラーでいらっしゃり、
2010年にいつでもどこでも挑戦権を手にしながら
炎のスピアーで関本大介を突き刺した後に、
“売店を仕切らなければいけない”という理由で石川修司に挑戦権を譲渡した場面は、
未だに忘れられないプロレスのワンシーンとして心に刻まれています。



直接この時期のことを指しているかはわかりませんが。

“ユニオンプロレスの大家健”を、印象深く思っているであろう
プロレスラーに、一人、心当たりがあります。

その選手が、2018年、2度目となるガンバレ☆プロレス後楽園大会で
メインイベンターとして大家健に相対した、
藤田ミノル選手です。



赤のテンガロンハットと赤のショートタイツで
メインの一戦に臨んだ大家健選手は、
藤田ミノル選手に、完敗。
もう1つ言えば。

“生き様を投影した戦い”を示そうとした“親友”に、
応えることができませんでした。

2019年8月、藤田ミノルが“卒業”と称し、
やり残した一戦として勝村周一朗選手とのシングルに臨んだ、
その試合後の“卒業式”。

尾崎豊のメロディーに乗せながら、
大家健選手にかけた言葉が、うろ覚えですが、
こんな内容だったと思います。

「大家健。テメエはもう、ライバルなんかじゃない。
ただの友達だ。」

「また、あの背広時代。
そしてあのユニオンでの売れないミュージシャンの頃のお前を上回ったら、
遊んでやるよ」



個人的な見解に個人的な見解を重ねますが、
大家健の赤パン時代は、“ユニオンプロレスの大家健”の
リバイバルだったのかななんて思いながら見てました。

大家さんが弱くなった、とか、
このスタイルにしたことで何かが失われた、とかは
個人的にはあんまり思っていなくて、
大家健は大家健であり続けたと思います。

ただ、結果として。

“赤パン時代”の大家健は、ガンバレ☆プロレスの主役になることは、
ありませんでした。

そして藤田ミノルが“友達”としての交友を取り戻しているように、
(強さという部分ではともかく)凄さ、面白さ、勢い、なんか言いしれない何か。

藤田ミノルを悔しがらせるだけの何かが、足りてなかった…のかもしれません。



今の大家さんのプロレスの魅力は、
やっぱり個人的な見解にはなりますが、
“大家健”そのものの魅力とほぼ同義な気がしています。

スーツを身に纏い謎のテンションで一点突破し、
結果的にKO-D無差別級を巻いたときとは、
何かがもしかしたら足りないのかもしれない。

でも、それでも。

私はやっぱり、“大家健”を信じているところがあって。

足りないかもしれない“何か”の積み上げがなかったときの、
あるいは、ユニオンプロレス時代の。
菊地毅との戦い、
宮本裕向との“蛍光灯売店デスマッチ”を戦ったとき、
新日本のNeverに参戦直訴したとき、
タイチとの抗争、
そしてドリフ、石井慧介との戦い。

そこに、戦いはありました。
そこに、大家健の魅力は、存分にありました。
その戦いに、心動かされてきました。

大家健は、大家健として戦うことで、
充分それが示せると。

個人的には、思ってます。



そのユニオンプロレスよりもさらにさらに遡り、
恐らくはDDTプロレスに入ったころの心持ちもどこかにもちながら
戦うことになるであろう、佐々木貴との一戦。

“佐々木貴に、蛍光灯マッチで勝ちたい”

大家健が、大家健として、大家健のままに。

存分に戦い尽くすことを願います。



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