どうもカレーです。
1986年、みなさんは、何をされていたでしょうか。
私は、よく覚えていません。
というのも、この年に生まれたものですので。
2019年に33歳を迎えるこの世代、最大の有名人は
ダルビッシュ有と、木村沙織でしょうか。
両名とも長身で、私個人としては誕生日も近くてですね。
コンプレックスを煽るどころかそもそも比べ物にならない
傑出したアスリートは、しかし“世代感”という意味では
あまり共感の対象では…少なくとも個人的には…なくてですね。
個人的に〇〇世代、と自称するときには…
特に、プロレスファン相手に自称するときには、
“帯広さやか”世代という言い回しをしていることが多いです。
プロレスは“象徴”の空間なので、
選手の象徴性に(応援というかたちで)同調し、ときに熱狂し、
一時的に自己の存在から解き放たれ…象徴性を通じて、
自己の存在を再構成する、的な。
学術的には確かそんな話…だった気がする(集合的沸騰。間違ってたらごめんなさい)。
同世代だから好き…という単純な話ではないですけれど、
でも、同い年のプロレスラー、プロレスラーに限らずアスリート、
有名人って、なんとはなしに意識してしまうことがありまして。
たぶん、“同い年”とか“近い世代”っていう記号が、
自分にとっては象徴性が強いものなんだろうなと思います。
同世代のプロレスラーは結構いらっしゃいまして、
個人的にパッと思いつくあたりで言いますと、
DDTの彰人選手、BASARAのFUMA選手、久保佑允選手、
リアルジャパンの間下隼人選手、
女子選手でいえば、(早生まれですが)DDTの赤井沙希選手、アイスリボンの宮城もち選手…
などなど。
その中で何故個人的に、世代の代表性を帯広さやかに求めてしまうのか。
同じ世代を生きていた人たちは、
見ていたのものが同じだったりするので、
例えば“僕らのスポーツヒーローは清原和博だった”
という、それだけでも応援する理由には充分だったりします。
あと、帯広さやか選手が我闘雲舞の中で持ち歌にしているソロ楽曲に
「♪再就職のうた」というものがあります。
この歌は、元々仕事に就いていた帯広さやか選手が、
プロレスラーに“再就職”する以前、働いていた当時の心情を
哀愁漂うリズムに乗せてお届けする、
最終の仕事をほっぽり出して辞めた身としては、中々に心に刺さる曲となっており、
そんなところも勝手に重ねてみてしまうところです。
同じ世代を生きて、同じ好きなものがあって、
仮に似たような職歴があったとしても、
当たり前ですが、それぞれの人間はまるで違う。
私は自分の世代の人間で、あそこまで全力な人間を、他に知らない。
そして同い年のレスラーが、デビューしていきなり団体の代表となったときの衝撃も、忘れない。
そしてそのレスラーのプロレスが、あんまりにも型破りだったときの衝撃も、忘れてない。
私は私の世代の人間の中で、一番…
なんだろう?
一番…エネルギーというか…
むしろ、“破壊力”のある人間である帯広さやかにこそ、
なんというか、代表性を覚えるところです。
しかしその破壊的なエネルギーを維持するのは、
大変な苦労の上にある、ということも、
なんとなく理解したところであります。
11月24日、帯広さやか選手が“冬眠”を発表しました。
“生きていることが奇跡”とまでさくらさんに形容される帯広さやか選手、
とにかく全力であるが故か、身体へのダメージも大きく、
何もない市ヶ谷のマットの上で、“エネルギー切れ”を起こして
倒れそうになる場面も、ここ数年で何度も見ました。
膝の手術、指の手術、再手術と欠場期間を重ねてますが、
それでも復帰のたびに、“全力”を見せてくれるのが、帯広さやか選手。
今回の欠場は“レスラーとしての身体作り”の面もあると語られましたが、
同じ33歳が、それでも前を向いて、続けるための決断をしてくれたことを、
本当に嬉しく思います。
さて、脈絡ない文章が続いていますが、
もう一人、1986年生まれの話を。
この文字を打っている本日11月27日、
新宿FACEで“ハヤトエール”が開催されました。
癌と闘病中のフジタ“Jr”ハヤト選手を支援するための開催となった今大会、
個人的に、今日の今日まで行くかどうかを迷っていました。
それは、真裏にもう一つ魅力的なプロレス興行があったこと、
もう一つ魅力的なプロレスイベントがあったことによる
部分が大変大きいのですが、それ以外にもう一つ。
過酷な病との戦いを続けている、1986年生まれのフジタ“Jr”ハヤト選手を、
直視するのが怖かったから。
ハヤト選手は、好きです。
好きですが、ただ、自分と同い年の選手が背負った病が、
あまりにも重く、あまりにも過酷なことは、
病名だけでイヤというほどに理解ができます。
なので、今日リングの上でどんなことが語られるんだろう、
語られてしまうのだろう…という不安と、
それを直視する勇気があるかどうか…というところで、
足を向けることに、躊躇がありました。
結果、完全なる杞憂でした。
冒頭、いきなりリングに現れたフジタ“Jr”ハヤト選手は、
脊髄周りの腫瘍の除去手術を経ても、
まだ腫瘍の肥大が生じていることを明らかにしました。
病状としてはあまり前向きではないものでしたが、
それにもハヤト選手は、“絶対ここに帰ってくる”こと、
そして、集まった選手、観客への感謝を言葉にし続け、
なんといいますか、その眼差しの強さを、ただただ信じたくなりました。
これだけ強く、戦い続ける同世代を目にしながら、
自分にできることはせいぜい祈ること、願うこと。
ただ、明らかに自分より頑張っている人間に願えることが、
“頑張れ”しかないことに少し辟易とするところもあります。
だから私からは、エールではなく、
ただ感謝を。
帯広さやか選手、フジタ“Jr”ハヤト選手に限らず、
同世代の選手たち、あるいは“若手通信世代”など同じくらいの年回りの選手たち。
それぞれがそれぞれにプロレスラーとして活躍してくれること、
プロレスラーでい続けてくれること、
プロレスラーとしてあり続けようとしてくれること。
それだけで私は、前を向いて歩いていけます。
ありがとうございます。
願わくば全てのレスラーたちが、自らの望む場所にたどり着かんことを、心より。