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時々眺める富士山

父とおもちゃ(4)

マシントイは、その後も車輪を用いた動かせるおもちゃとしてずいぶん遊んだと記憶している。やはり、動かせる部分のあるおもちゃは、面白く遊ぶことができた。

その後だったと記憶しているが、父は鉄道模型を購入してくれた。父が選んだのは、3線式のOゲージの鉄道模型だった。後に知ったことだが、鉄道模型の形式はいろいろあって、直流2線式、交流3線式が当時の代表的なもののようだった。その後流行るのは、直流2線式のHOゲージで、その後9mmが主流となった。

直流2線式は、右側のレールに+左側のレールに-で前進、その逆で後退となる。交流式は、進行方向を決めるスイッチが機関車に付いていて、そのスイッチは、電源トランスにあるスイッチで逆転できたと記憶している。しかし、その動作には不安定なところがあり、予期せぬところで逆転が生じたりした。

最初はループレールとチョコレート色の機関車にブルートレイン様の客車と車掌車のセットだったと記憶している。そのうち、父はポイントを2台買い増して、レールの配置にバラエティを加えられるようになった。

3線交流式のメリットは、なんといっても信号機が簡単に作動することで、機関車の集電シューと接触する端子をレールに3か所セットしておくと、機関車のいちによって信号機が赤、黄、緑と変化していった。父は、それを販売店で見て知っていたから、3線交流式を選んだのだろう。すぐにこの信号機を買ってきた。

線路やポイントの収納ケースの裏には、色々な線路の配置図(レイアウト)の絵が描かれていた。すぐに、そのようなレイアウトを構成したくなったが、父もそこまでどんどん買い足すことはしなかった。

Oゲージは場所をとるが、8畳間にあるものをすべて片づけてレールを張り巡らして遊ぶところまでは行った。これが、父が買ってくれたおもちゃの最後のものであった。私が中学に入ってからは、もはやおもちゃは買ってくれなかった。

私は、中学に入って、小遣いをもらえるようになり、それをためてHOゲージの模型をやるようになった。最初は機関車の組み立てキットを購入し、その後、部品を購入して組み立てることも行った。ただ、仕上がりは、塗装のところから先でうまくいかなかった。線路も最初は木製道床のものを購入し、後にフレキシブルレールを購入してレイアウトを組んでみたりしたが、次第に割けるお金も時間もなくなり、やめてしまった。

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おとといの台風15号の通過時には、一時猛烈な風が吹いた。屋上の風は特に強く、立ち入るのは、危険な状態であった。その屋上に置いてあった鉢植えの百日紅は、その強風に耐えた。今日見たら、花がほころんでいた。



三つあった蕾の一つはなくなってしまっていたが、二つはピンク色の花が咲きかけている。



強い風で、葉は再び萎れ気味になってきているが、あの猛烈な風でも花が残ったのは奇跡的に思える。

ちなみに、地上の百日紅の花も大半は散ってしまった。高い位置にあった花ほど風の被害は大きかった。背丈の低いマリーゴールドなど、被害が少なかった花はあるが、キバナコスモスなどは全滅した。道路際の株の処理に半日かかった。
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