時々眺める富士山

また父が来るのを待ち続けている

今日の訪問時、母はホールで歌を歌う輪に加わっていた。
ただ、母は歌を全然歌えない。

皆が歌を歌っている間、周囲をキョロキョロ見回して、あの人は私と同い年だとか、あの人とは九州に一緒に行ったとか、でたらめなことをしゃべりまくっていた。

そして、「今日はお父さんが来ない。来ない」といった。
お父さんは死んだよ、というと、
「そんなことない」という。

お父さんの命日は?と尋ねてみた。
命日を忘れていることは失礼だからだ。

今日は何日?といういつもの質問をしてみると、今日は全然答えはない。
2014年12月5日であることを言っても、今日は上の空だ。

お父さんの命日は1011年8月8日だといっても上の空だ。

お父さんが死んでから何年経ったかは引き算をしてみればわかるといっても上の空。

2014引く2011は?と尋ねても上の空。

また、介護の齋藤さんのことを井出さん、井出さんと呼んでいる。

ここのところ小百合ちゃんと間違えられていた宮川さ聞かなくなった。

歌は、クリスマスソング、童謡、昔の歌と10曲ぐらい歌ったのだが、母は歌詞カードに注意が向かわない。

さらばラバウルのメロディーで口腔の運動をするいつもの曲にも加わることはなかった。

ただ、唾液が出ないとうまく食べられないから、唾液が出るところを刺激しましょう、といわれると、「あ、そうなの」と珍しく反応し、介護の方から注目を浴びていた。

それから食事の準備となったが、「手が痛い」といっていた。
ここのところ、左手も少し動くようになっていて、歌詞カードを両手で持った利しているのだが、今日は手で結んで開いてをやらせてみた、手の動区範囲が小さくなっていた。

私のカバンを見て、「もっといいカバンにしな。カバンを買ってあげる」といった。

私も、入居者の名前を少しずつ覚えているのだが、私が名前で話しかけると、母は、昔からの知り合いと勘違いする。

母は、周囲に昔からの知り合いでない人がいることが不安なようだ。

話しまくるから、言葉はわかるのだが、内容は大昔のこと。
数の計算は、日に日に衰えている。
数は数えられなくなっている。

父の命日を覚えることもできない。
ただ、昔の知り合いが自分の面倒を見てくれていること、周囲には、幼稚園のころからの知り合いがたくさんいること。つい最近付き合っていた人の名前は覚えているが、数年前から10年前ぐらいの記憶は消えているようだ。
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