顔を見るなり、
「遅いじゃない」といった。
「用事が何にも済んでいない。」
「背中がかゆいので、かゆいのを取る薬を買いに行ったり、雪道を掃除したり。」
「お父さんが朝からお使いだ。」
「びっくりしちゃったの」
「名前はわからない租の人と、園子がお見合いしてた。」
「私が出掛ける前に、その辺で」とホールのソファーのあたりを指さす。
介護の音尾の人を指して、「あの人と」
守が来た?と尋ねると、
「夜遅く来た。晩御飯のおかずを持ってきてくれた」
「園子がいいっていう」
「湘南尾卒業生で、毎年来る人に、幹子がついてきて、赤い着物を着ていた」
「なんか評判はよかったけどね。幹子が連れてきたし」
「変じゃなかった。何をやってたのかね?」
「私たち、向うで洋服をなんかしていたので。正月の」
介護の女性3人を指して、「割と大人の歌を歌ってた。」
ここで、話を遮って、お父さんは死んだから、買い物に行くことはないことを告げる。
また、仏壇の写真を見せながら、お父さんが買い物に行ったのはいつ?と尋ねたら、、少し黙った。
しばらくして、
「昨日はこの人たちはいなかった」といった。
今日は12月8日。お父さんの月命日といって、お父さんは何月に死んだのか尋ねると、
「12月?10月?」という。
8月という答えは出ない。
お父さんの命日の8月8日を何度もいっても、それを口伝えで再現できるのはその直後だけ。
ノートの8月8日と書いて読ませても、読めない。
こちらが8月8日といいながら読ませると読める。
今日は12月8日で開戦記念日といっても、戦争のことは忘れたようだ。
今日は何日?などといろいろ尋ねると、そっぽを向いて、あの人はどうだ、こうだといったりした挙句、「まあ、なかなか一生懸命やるんだけど」といってから、
「あの人は頭がいい」
「あの人はテニスが上手な方」と入居者を指していう。
おとといからあるクリスマスツリーを指して、
「周りと一生懸命やった。MさんとTさんと。やらない人もいた」
といった。クリスマスツリーの飾りつけをしたのだろうか?
「お父さんが、お菓子をお前が食べるのは惜しいという。仏さんのお菓子を」
「みんな来るから包丁が400本ある」
「カキの鍋を使用と思う。いいだろ?」
ちょうどこの時TVでカキの鍋が映像で写っていた。
その後、また、盛んに他の入居者の批評を繰り返す。
私だって分かることがあるんだ、といった感じだ。
今日の昼食はカレーライスだった。
「お父さんがカレーを食べたいといっていた」
「鳥仲が良く来る。おじさんもどんどん来る」
昼のTVで橋本大二郎が写っていると、「お兄さんが大蔵大臣をやった人」という。
名前は出ないが顔はわかるようだ。
お兄さんの橋本龍太郎は大蔵大臣だけでなく、首相もやったよというと、うなずいた。
それから「ミホ子おばさんが、ミホ子おばさんが」を繰り返した。
ミホ子おばさんはもう生きていないよ、というと、それはわかっているといった意味のことをいった。
ここで、終戦の日は?と聞いてみたが、これもわからなかった。
食事の前の口腔体操には興味を示さない。
「小学生の先生。みんな忘れた」といった。
カレーが来ると、どんどん食べた。
驚いたことに、小皿に持った野菜の漬物を、小皿をつかむなり、一気に口の中に入れてしまった。
食べるのが速い。
今日もここで帰ることにした。
まだ、こちらのいうことがわかってはいるようだが、短期記憶は全くなくなってしまったので、母の記憶にないことを話しても、それは意味のないことに思われる。
一方的に話す話を聞くしかない立場となってきた。
意思疎通が少しでも可能なのは、今しばらくのうちかもしれない。
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