母は車いすに乗って、ホールでTVを見ていた。
ノーベル賞を受賞した3人の日本人についての夕方のワイドショーだ。
いつも通り、一人でどんどんしゃべった。
「あんたが(TVに)出ている。」
「エイ子さん、ミホ子さんが今日は遅い」
「朝鮮人」
お父さんが来ないことをまた言うので、仏様になった時の写真をまた見せたところ、お父さんが死んだことは覚えていないが、(仏さんに備えられている)「お茶椀なんかは覚えている」といった。
それから英国の王室が米国を訪問しているニュースを見て
「キャサリン妃は大変だ」といった。
母と同い年のエリザベス女王もまだ元気だというと、
「とっても付き合いきれない、歳だから」といった。
そして、すぐに「それにしてもお父さん、帰ってこない」
とまたいう。
父の命日の2011年8月8日をいくら教えても、い得るようにはならなかった。
また、介護の方を、「井出さん、井出さん」というようになっている。
ここのところ小百合ちゃんは利かなくなった。
そして、
「おいしかった」というので、何が?と尋ねると、
「お前のお菓子」といった。
今日は水曜日だということを教えても、キョトンとしていた。
そこで7曜日をいったが、それを言い直すことはできなかった。
日曜日という言葉もわからなくなっていた。
一方で、色の名前をいってごらん、というと、
「ピンク「、「黄色」「橙」といった。
空の色は?と聞くと「青」と答えた。
ノートの色を尋ねると「白」
かばんの色を尋ねると「黒」
木製椅子の色を尋ねると「茶色」
と正しく答えた。
そして、「私だって少しは分かる」
そこで、虹の色は?と聞くと「わかんない」と答えたが、
数を尋ねると、7色ということは答えた。
虹の色を教えようとしたが、「またゆっくりと」と答えた。
ここで、驚くべきことが起こった。
TVで中村修二教授が写ったら、
「あれ、中村修二」と大きな声で言った。
「おりこうさん」と付け加えた。
「向こうのことで忙しかった。遊びに行ったと思えばよい」
ともいっていた。
人の名前は妙に覚えているようだ。
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