今日は、とある催しを見てきました。
こちら西神戸の海水浴場、アジュール舞子で盆を過ぎたこの季節の週末に「こうべパールキャンドル」というイベント。
阪神淡路大震災による犠牲者への追悼と復興へのシンボルとして灯り続ける光「1.17希望の灯」から、
ペットボトルでつくられた多数のパールキャンドルに分灯され、その灯りが砂浜に沿って並べられていました。
明石海峡大橋がパール・ブリッジと呼ばれるのにちなんでいることかと思います。
垂水区内各地区の町内会や婦人会などが担当して、キャンドルを並べているようでした。
そして担当分の火が消えたら着火する係りの方もおられました。
いよいよ日が暮れてきた頃。
パールブリッジ(明石海峡大橋)の電飾も灯されました。
パールキャンドルひとつひとつに作成者の思いが書かれてます。
しかしアンパンマン関連の絵がなんて多いこと。
こちらが「1.17希望の灯り」から分灯された火。
比較的被害が小さかった垂水区とはいえ、死亡者26名、全壊1,176棟、半壊8,890棟という規模の出来事が起こっていました。
当時私は高校受験直前の中学生でしたが、同じクラスの子が仮設住宅に入ったり、家屋が全壊して制服を失った子が一人私服で学校に来たりしていました。
ただ、須磨浦公園の鉢伏山の向こうでは、更なる惨状であったことを思うと、何も言えません。
また、この地域は神戸市中心部や臨海地区の重工業地帯に務める人が多かったため、
まずは不眠不休で復興に向けて取り組んだ人も多かったと思います。
そして、被害が甚大だった地域から、多数の人が垂水区へ移り住むようになりました。
慣れない町へ移住やお互いの付き合いの苦労もありますし、今後も大変な問題として残ると思います。
でも、こうやって垂水区全域の町内会が参加されているということは、
古くから在住している人も移り住んできた人も参加されているのではないかと思います。
震災後も神戸は色々悲しい事件もあり、そして去年などは新型インフルエンザなどで騒がれました。
でも、ここに住んでいる人の神戸への愛着は変わりません。多くのキャンドルを見てそう思いました。
このような美しい光景を創り出すイベントが今後とも継続されていくことを願っています。
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こちら西神戸の海水浴場、アジュール舞子で盆を過ぎたこの季節の週末に「こうべパールキャンドル」というイベント。
阪神淡路大震災による犠牲者への追悼と復興へのシンボルとして灯り続ける光「1.17希望の灯」から、
ペットボトルでつくられた多数のパールキャンドルに分灯され、その灯りが砂浜に沿って並べられていました。
明石海峡大橋がパール・ブリッジと呼ばれるのにちなんでいることかと思います。
垂水区内各地区の町内会や婦人会などが担当して、キャンドルを並べているようでした。
そして担当分の火が消えたら着火する係りの方もおられました。
いよいよ日が暮れてきた頃。
パールブリッジ(明石海峡大橋)の電飾も灯されました。
パールキャンドルひとつひとつに作成者の思いが書かれてます。
しかしアンパンマン関連の絵がなんて多いこと。
こちらが「1.17希望の灯り」から分灯された火。
比較的被害が小さかった垂水区とはいえ、死亡者26名、全壊1,176棟、半壊8,890棟という規模の出来事が起こっていました。
当時私は高校受験直前の中学生でしたが、同じクラスの子が仮設住宅に入ったり、家屋が全壊して制服を失った子が一人私服で学校に来たりしていました。
ただ、須磨浦公園の鉢伏山の向こうでは、更なる惨状であったことを思うと、何も言えません。
また、この地域は神戸市中心部や臨海地区の重工業地帯に務める人が多かったため、
まずは不眠不休で復興に向けて取り組んだ人も多かったと思います。
そして、被害が甚大だった地域から、多数の人が垂水区へ移り住むようになりました。
慣れない町へ移住やお互いの付き合いの苦労もありますし、今後も大変な問題として残ると思います。
でも、こうやって垂水区全域の町内会が参加されているということは、
古くから在住している人も移り住んできた人も参加されているのではないかと思います。
震災後も神戸は色々悲しい事件もあり、そして去年などは新型インフルエンザなどで騒がれました。
でも、ここに住んでいる人の神戸への愛着は変わりません。多くのキャンドルを見てそう思いました。
このような美しい光景を創り出すイベントが今後とも継続されていくことを願っています。
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お盆の終わりの風物詩となりつつありますが、
それとともに、それぞれの思いを思い起こさせるきっかけとなるイベントであればいいですね。
こういったイベントは何があっても続けていけるようにしていって欲しいですよね。