風に乗れ -Winddriven Current-

ワイヤーフォックステリアのナイトさんとORIXを応援する日々
“Challenge Together @KOBE”

阪神青木界隈にて

2008-07-25 | 風景画-神戸・播磨
阪急球団を創設期から応援していたという私の祖父なのですが、亡くなってからもうすぐ11年が経とうとしています。
この日差しの強い季節になると、じいちゃんを思い出すものです。

とにかく几帳面で、持っている書物は大事にする人で、
貴重な阪急創設期のスポーツ記録なども私に残してくれたんですよね。

日本職業野球初年度の記録(その1)
日本職業野球初年度の記録(その2)


そんな几帳面な性格というのも、建築家という職業柄の影響もあったんでしょう。
昔はパソコンはおろか、電卓やコピー機すらない中で、計算したり図面を書き上げたりと、
忙しくとも繊細なセンスと絶対に間違えない正確さが必要で、相当な神経の持ち主でないと務まらなかったはず。


さて。先日神戸に帰省したとき。
そんなじいちゃんが設計し工事に関わったという「野球場」をちょっと見てきました。

ちょうど京セラドーム大阪へ伯父と車で観戦に向かうとき、
「通り道にあるから見ていこっか」と連れてってくれたんですね。

 


場所は東灘区。阪神青木駅の南方。六甲ライナー南魚崎からだと東側。
瀬戸公園」という標識があり、グラウンドが連なったちょっとした運動公園みたいなところでした。


強い日差しの下、少年たちがサッカーの試合をやってるグラウンドの隣、フェンス越しに見た隣のグラウンドが、
その野球場「だった」ところだそうです。




幼い頃目にした記憶を辿る伯父。
「昔はスタンドとかあったんやけどなぁ。
 明石公園の野球場くらいのスタンドがあったんよ。もう出来てから50年くらい経つかなぁ。」



O/W氏と同じように社会人の方々の野球の試合が行われてました。



「あとなぁ、ホームラン打ったら全部ボールは海にはまりよってんで」
この近辺、今でこそ重工業地帯になってますが、球場創設当時は綺麗な浜辺だったそうな。


じいちゃんの仕事ぶりを聞くと、有馬温泉の旅館などの設計をやったり図面を書いたりで徹夜が続き、
工事の担当になると泊り込みで現場に張り付いたりで、普段はほとんど家に帰ってこなかったという話。

母親や伯父が子供の頃、あまりにも祖父が忙しくて親の顔を知らなかったというくらい。

そんなじいちゃんが、高校生だった私に一度だけ、仕事の話をしてくれたのが、
この目の前にある野球場を作ったこと。
書棚から数冊のアルバムを取り出し、開いて見せてくれました。

白黒で焼かれた写真にはグランドに土を持ってきたり、均したり、スタンドを構築したりという様が描かれていました。
ただ、今となってはその写真一枚一枚にどんな作業が写っていたのか、はっきりと思い出すことはできません。

ただ、じいちゃんが、私にアルバムを見せながら話しかけてくれたことをはっきりと思い出すのです。






あのとき見た白黒の写真に描かれていたものの一部は、ここに目にしている中にきっとあるでしょう。

そして、フィールドには白球が舞い、選手たちが力を発揮する場として、
今もこの場でこんな鮮やかな色をしながら生きていることを確認しました。


じいちゃんにとって、アルバムだけじゃなく、ほんとはこの実物を見て欲しかったはずですよね。



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2 コメント

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「青木」って・・・ (☆maruko☆)
2008-08-06 22:58:51
確か「おおぎ」って読むんじゃなかったでしたっけ?阪神間に長期間住んでいながら不勉強であまり詳しくはなかったりしますし、青木球場のことは全く存じませんでしたが、ご自身のお仕事に絶大なる誇りを持たれておられたご祖父さまとkazumaさまとのご縁を感じます!
「阪急」は私の記憶にある限りは大変強すぎて、ずっとアンチでしたが、先日の南海ユニ@鷹戦@大阪の試合では、「南海」と「近鉄」が中心で「阪急」はなく、それでよいのか?という気持ちになりました(翌日のスカイでは違った光景だったかもしれませんが)。
結局「阪急」や「近鉄」は今後どうなるのでしょうね?
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☆maruko☆さん (Kazma)
2008-08-07 00:41:31
>おおぎ
そうです。おおぎさんと同じ、おおぎ。

祖父も陸上選手でありながらスポーツは野球を含め大好きでしたから、
野球場の工事は一生の思い出だったのことでしょう。

鷹との試合、
よくレフトスタンドから「○○電車ではよ帰れ~」という声が聞こえてきますが、
スカイでは阪急、京セラでは近鉄、と使い分けはあるようです。

南海復刻シリーズでは、日生球場みたいなノリだったんでしょうね。

祖父や伯父が好み、私が初めて野球を見た阪急も蘇ってくれないものか、と思うところです。
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