昼間、新宿に出ていたので、ついでに水道橋まで行ってきました。
ラクーア周辺は、小さな子供連れの人がたくさんいる中、
自分は東京ドーム周辺で、プロ野球のグッズをみたりしながら、行った先は・・・
野球体育博物館
というのも、昨日こんなニュースがあったのがきっかけ。
・・・野球殿堂入り:故・梶本隆夫氏を競技者表彰で選出(毎日新聞)
実際、僕自身は梶本さんを良く知らない。
でも、あの阪急も弱かった時代があり、そんなときに限って、打撃の援護がなくとも
ひったすら投げ続けていた選手がいたというエピソードを聞いて、ちょっと拝んどこうと思い立ち、ここに来たわけ。
400円払って中に入ってみたところ、やっぱし今日はひっそりしてる。
野球殿堂とは、正式には野球体育博物館のこと、と聞いたことがある。
そんじゃ、いきなり入ってみたこの光景、
よしともも野球殿堂におったで。いそべも。コリンズも?
ただ、これは現在のユニフォームを展示していたもので、こっからが厳かな雰囲気に切り替わるとこ。
■偉大な記録と蘇る記憶
フクちゃんの106盗塁を決めたスパイクやユニフォームが展示されているものを見てると
関西で阪神の中継、0行進の続いたスコア見ながら「たこ焼き増えたわー」とか言うてる
あのおっさんとは到底思えない。
そして、遥か遠い存在になったイチローのスパイクもガラスケースの片隅に置かれていた。
イチローも田口も今でも神戸で練習しに帰ってくる。
近くにいるような遠い存在のような、やっぱり彼らは現役だけど、なんだか過去の人のような気もする。
WBCで世界一のイチロー。ワールドシリーズで世界一の田口。
これでますます遠く遠い存在に。
12年前、中学のクラスの中でも普通にこんな会話が聞こえてた。
「オリックスやったら誰がいい?」
「イチローと田口。ていうか、他知らんで。」
この頃は田口の名前が出てくるだけでも通だった方。
ましてや阪神の話題は出てこなかった時代。
そんなことを思い返してると、
「うわ!鈴木啓示がおるで!! 懐かしーなー!!」
という声が。
他のお客さんで、関西方面から来てる4人組の方がいらした。
近鉄ファンの人かなと思ったら、
連れの人は、福ちゃんの阪急ブレーブス帽を見ながら
「これ、小学校の頃ずっと被ってましたわ!」
とか言うてる。
そういう人の声を聞いただけでも、
なんだか野球の経歴って大事なもんやな、としみじみ。
■80年代ユニ展示
現在行われてる80年代特集なるものにも首を突っ込んでみると、
小学生の頃、各チームの選手を覚えられたのは、
ファミスタや燃えプロといったテレビゲームや、プロ野球チップスのお陰なのかもしれない。
で、球場に連れて行ってもらったのは、西宮球場の阪急-西武の1回きり。
その年が88年、阪急最後の年とは知らずに。
84年の優勝は知らない頃だったので
阪急は阪神ほど弱くなかったけど、優勝は難しいという位置づけだった頃。
ガキの頃は、深夜のプロ野球ニュースも見なかったし、テレビ中継なんか見られなかったもの。
たまに、サンテレビで阪神が遠征してるときに西宮球場の中継があったと思う。
そのほかパリーグの中継を見たのは、あの10.19ぐらいだったか。
あぁ。僕らのブーマー。
去年までいた同じ右打者、同じ応援歌、同じブから始まる名前のブランボー、
また誰かに応援歌は引き継いで欲しい。
また、ちょっと目を引いたパネルは、ハムの80年代。
1980年、なななんと22勝もあげ、最多勝、最優秀防御率賞、MVPに輝いた
しかもルーキーのピッチャーがいたようだ。
木田 勇(Wikipedia)
そのときハムのチームの勝利数は一人で22勝も挙げた人がおるのに、たった66勝。
彼は、なんて酷いチームとは思わず、今でもハムに思い入れが強くてチームをバックアップしてるらしい。
こういうのを見てると、知らない時代でもおもしろいもの。
■殿堂
確かにいた。梶本さん。
通算成績 254勝 255敗。
あの星野ですら達せなかった200勝を遥かに超え、
さらにそれより1つ多い負け数になるまで投げ続けた左腕。
本当におつかれさまです。
何よりこの野球殿堂入りてのは、仰木監督が行ったような盛大なパーティーが開かれてもおかしくない
それほど価値のあるものなんじゃないの。
それが、本人が亡くなられてから、これほど価値のあるものを渡されるというのも
寂しい話。
それが許されたのも梶本さんの人柄だったからだろうか。
いろんな人に祝ってもらえるといいですね。
今日関西から来てはった人も、梶本さんを見にきたんと違うかな。
今度はオールスターで表彰式があるとか。
もちろん、福ちゃんや山田さん、エエデ上田さん、仰木監督のレリーフも拝んできました。
千葉茂さんや鈴木啓二さんも。
■サインボール
プロ選手全員で書いたと思われる、このボール。
直径は2mくらいあって、結構でかい。
仰木さんのサイン、名前があったから、おととしに書かれたものだろうね。
いろんな選手が、それぞれの言葉で。
見ていく人は、「へー、ダルビッシュこんなかわいい字書いてるんだー」とか言いながら見てました。
なかなかグッときたのは、
清原和博 「オレのフルスイングを見ろ!!」
岡本 晃 「ピンチに燃える男」
牧野 塁 「スピード命」
仰木 彬 「元気な試合を魅せます」
本柳和也は、ボールの底の方に・・・
「今年も野球が出来て幸せです」
なんだかいい言葉。
そして、このプロ野球全選手の一番頂点に書かれてあったのは・・・
光原って、これ書いたの1年目の始まりのときやったやろ?
珍プレーも最近はテレビでしなくなったから、これはちょっとスベったな。
ラクーア周辺は、小さな子供連れの人がたくさんいる中、
自分は東京ドーム周辺で、プロ野球のグッズをみたりしながら、行った先は・・・
野球体育博物館
というのも、昨日こんなニュースがあったのがきっかけ。
・・・野球殿堂入り:故・梶本隆夫氏を競技者表彰で選出(毎日新聞)
実際、僕自身は梶本さんを良く知らない。
でも、あの阪急も弱かった時代があり、そんなときに限って、打撃の援護がなくとも
ひったすら投げ続けていた選手がいたというエピソードを聞いて、ちょっと拝んどこうと思い立ち、ここに来たわけ。
400円払って中に入ってみたところ、やっぱし今日はひっそりしてる。
野球殿堂とは、正式には野球体育博物館のこと、と聞いたことがある。
そんじゃ、いきなり入ってみたこの光景、
よしともも野球殿堂におったで。いそべも。コリンズも?
ただ、これは現在のユニフォームを展示していたもので、こっからが厳かな雰囲気に切り替わるとこ。
■偉大な記録と蘇る記憶
フクちゃんの106盗塁を決めたスパイクやユニフォームが展示されているものを見てると
関西で阪神の中継、0行進の続いたスコア見ながら「たこ焼き増えたわー」とか言うてる
あのおっさんとは到底思えない。
そして、遥か遠い存在になったイチローのスパイクもガラスケースの片隅に置かれていた。
イチローも田口も今でも神戸で練習しに帰ってくる。
近くにいるような遠い存在のような、やっぱり彼らは現役だけど、なんだか過去の人のような気もする。
WBCで世界一のイチロー。ワールドシリーズで世界一の田口。
これでますます遠く遠い存在に。
12年前、中学のクラスの中でも普通にこんな会話が聞こえてた。
「オリックスやったら誰がいい?」
「イチローと田口。ていうか、他知らんで。」
この頃は田口の名前が出てくるだけでも通だった方。
ましてや阪神の話題は出てこなかった時代。
そんなことを思い返してると、
「うわ!鈴木啓示がおるで!! 懐かしーなー!!」
という声が。
他のお客さんで、関西方面から来てる4人組の方がいらした。
近鉄ファンの人かなと思ったら、
連れの人は、福ちゃんの阪急ブレーブス帽を見ながら
「これ、小学校の頃ずっと被ってましたわ!」
とか言うてる。
そういう人の声を聞いただけでも、
なんだか野球の経歴って大事なもんやな、としみじみ。
■80年代ユニ展示
現在行われてる80年代特集なるものにも首を突っ込んでみると、
小学生の頃、各チームの選手を覚えられたのは、
ファミスタや燃えプロといったテレビゲームや、プロ野球チップスのお陰なのかもしれない。
で、球場に連れて行ってもらったのは、西宮球場の阪急-西武の1回きり。
その年が88年、阪急最後の年とは知らずに。
84年の優勝は知らない頃だったので
阪急は阪神ほど弱くなかったけど、優勝は難しいという位置づけだった頃。
ガキの頃は、深夜のプロ野球ニュースも見なかったし、テレビ中継なんか見られなかったもの。
たまに、サンテレビで阪神が遠征してるときに西宮球場の中継があったと思う。
そのほかパリーグの中継を見たのは、あの10.19ぐらいだったか。
あぁ。僕らのブーマー。
去年までいた同じ右打者、同じ応援歌、同じブから始まる名前のブランボー、
また誰かに応援歌は引き継いで欲しい。
また、ちょっと目を引いたパネルは、ハムの80年代。
1980年、なななんと22勝もあげ、最多勝、最優秀防御率賞、MVPに輝いた
しかもルーキーのピッチャーがいたようだ。
木田 勇(Wikipedia)
そのときハムのチームの勝利数は一人で22勝も挙げた人がおるのに、たった66勝。
彼は、なんて酷いチームとは思わず、今でもハムに思い入れが強くてチームをバックアップしてるらしい。
こういうのを見てると、知らない時代でもおもしろいもの。
■殿堂
確かにいた。梶本さん。
通算成績 254勝 255敗。
あの星野ですら達せなかった200勝を遥かに超え、
さらにそれより1つ多い負け数になるまで投げ続けた左腕。
本当におつかれさまです。
何よりこの野球殿堂入りてのは、仰木監督が行ったような盛大なパーティーが開かれてもおかしくない
それほど価値のあるものなんじゃないの。
それが、本人が亡くなられてから、これほど価値のあるものを渡されるというのも
寂しい話。
それが許されたのも梶本さんの人柄だったからだろうか。
いろんな人に祝ってもらえるといいですね。
今日関西から来てはった人も、梶本さんを見にきたんと違うかな。
今度はオールスターで表彰式があるとか。
もちろん、福ちゃんや山田さん、エエデ上田さん、仰木監督のレリーフも拝んできました。
千葉茂さんや鈴木啓二さんも。
■サインボール
プロ選手全員で書いたと思われる、このボール。
直径は2mくらいあって、結構でかい。
仰木さんのサイン、名前があったから、おととしに書かれたものだろうね。
いろんな選手が、それぞれの言葉で。
見ていく人は、「へー、ダルビッシュこんなかわいい字書いてるんだー」とか言いながら見てました。
なかなかグッときたのは、
清原和博 「オレのフルスイングを見ろ!!」
岡本 晃 「ピンチに燃える男」
牧野 塁 「スピード命」
仰木 彬 「元気な試合を魅せます」
本柳和也は、ボールの底の方に・・・
「今年も野球が出来て幸せです」
なんだかいい言葉。
そして、このプロ野球全選手の一番頂点に書かれてあったのは・・・
光原って、これ書いたの1年目の始まりのときやったやろ?
珍プレーも最近はテレビでしなくなったから、これはちょっとスベったな。
なかなかアツイ場所ですね。
特に懐かしユニとか…。
あのころの「パ」は良かったなぁ~って思ってしまいそうです。
東京に行く機会があれば立ち寄りたいです。
そういえば、昔Buファンクラブの特典でココの入場割引あったような気がします。
そのときには是非また行かれて、レリーフのお写真を私にもお見せ下さることを望みます。
私も梶本さんの現役時代は直接知りませんが、書物などで見聞きする限り、とても尊敬できる人だということが益々わかってきました。
改めてご冥福をお祈りしたいと思います。
素晴らしい記事、どうもありがとうございました!
もし関東へ遠征へ来られる機会があれば、
ちょっと立ち寄ってみてみるのもいいですよ。
現在、80年代のフェアは2月ごろまでのようでしたが、
展示品も時々刻々と変化していくでしょうから
定期的に見に来てもおもしろいと思います。
>あのころの「パ」
他のお客さんたちも、80年代はパリーグの方が印象深いと話されてましたし、
その頃、テレビ中継もめったにない、今に比べると
さらに地味だったのに、良かったという時代だったんですね。
そうですね。
現在は、写真パネルと説明書き(新聞記事と同じ)
が展示されてましたが、
またレリーフが飾られる頃、もう一度見に来ようと思います。
梶本さんについては、いろんなエピソードからも、
素晴らしい人柄だったんだと想像します。
阪急党の僕達にとっても、今もなお、このような栄光が称えられるのは、
嬉しい限りです。
改めてご冥福を祈るばかりです。
ものを感じざるを得ません。
梶本さんについては、現役時代の姿は観たことは
当然無く、記録の世界の方でした。
254勝もあげながら255敗もし、且つタイトルにも
恵まれなんて何てかわいそうなんだと巨人ファン
だった子供時代に思ったものです。
野球暦短い我が家でも、見入ってしまいました・・・ここって!!
ace18が一番ハマってやってたのが、架空バッティング(?)のとこでしたが・・・
がらすきだったんで、貸切状態でずっとやってたんを、思い出しました 笑
他のお客さんも昔の熱パの頃のパネルを見て、
「そや!こんなこともあったな!!」
と笑いながら元気になってた、そういう力があるもんと思います。
梶本さんは偉大な記録を作られ、ここに永久に称えられますが
今も打撃陣の援護に恵まれない川越なども
何十年後も思い出して笑う日が来るんでしょうね。
そうそう、まだ岩ちゃんが投げてるやつ、ありました。
外野応援も東京ドームのハム応援団だったかな。
さすがに一人で行ったもので、今回はやりませんでしたけど。