サードのベースコーチャーズボックスで腕を回したマジシャン。
激しいノックの雨を降らせたマジシャン。
100通りの打順で挑んだマジシャン。
予告先発萩原を2試合続けてやった、マジシャン。
キクチハラって言うた言わなかったで試合中44分揉めた、マジシャン。
キクチハラの絶好球を取らなかったことに激高し、試合後も審判室に怒鳴り込んだ、マジシャン。
退場試合数の記録も大沢親分ほどではないが、なかなかの数。
北九州で退場処分くらったときなんか、山登りに出かけたというマジシャン。
あの貧弱な戦力を総動員して松坂を崩したマジシャン。
意外にマジックの種はバントを多様した戦術にあったとも言われてるみたいですね。
あのチャレンジ・スピリットは、いつまでも忘れられない。
戦力で勝つのでなく、戦術で勝つ。
それこそが、このオリックスの醍醐味でした。
だからこそ、9人で戦うのでなく、70人で戦うからこそ、多くの選手の特徴を知るきっかけにもなったものです。
二日酔いの顔を隠すために、サングラスを外さなかったマジシャン。
手術跡を隠すために、夏場もグラウンドコートを羽織っていた、マジシャン。
多くの夢を抱えたまま、2005年12月15日に永遠の眠りについた、マジシャン。
あれから、球場も選手も首脳陣も経営陣も変わりました。
ユニフォームもチームカラーも変わっていきます。
あの頃には、もう二度と戻れない。
80人の特別枠だった2005年ですが、今残っているのは・・
加藤・香月・金子千尋・光原・近藤・日高・前田大輔・鈴木・横山・後藤光尊・北川・下山・由田の13名。
あのままの気持ちで、これからも。
(写真は、スカイマークスタジアム内野通路にあるパネルです。)
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お時間とお気持ちに余裕がありましたら・・。
それでもニュース速報で知ったときは、大変なことが起こったんだなということがわかりましたね。
オリックスバファローズ一代目監督。
これからも語り継がれていくことでしょう・・・。
BW時代は市営地下鉄で通ってたんですよね。
近鉄時代の弟子の金村義明著「仰木彬・パリーグ魂」はお勧めです。
自分の知り合いでもなく、話もしたこともなかった人に対して、
こんなに悲しんだことはない、って言葉にされたファンの方がいました。
それだけ、身近に感じた人だと思います。
近鉄時代も電車通勤してたみたいですよ。
金やんの本は私も持ってます。
秋季キャンプでボロボロにノック打ちまくった夜は派手な格好で出かけていく毎日、
というエピソードが強烈な印象に残っています。