日刊スポーツより、悲しい知らせが。
小島昌也氏26歳急死 元オリックス外野手(日刊スポーツ)
元オリックス外野手の小島昌也(こじま・まさや)氏が9日に心室細動のため都内で亡くなったことが11日、分かった。享年26。
福岡県生まれで、自由ケ丘では右の長距離打者として通算51本塁打を放ち、03年ドラフト7巡目でオリックス入団。04年オフに近鉄の球団合併による分配ドラフトで楽天に移籍。05年オフに自由契約になり、06年はオリックスに再入団したが同年10月に戦力外となった。1軍出場はなく、米国で現役続行の道を探ったが福岡に戻り、北九州市民硬式野球クラブで野球を続けた。現勤務先の都内の自宅で倒れ、帰らぬ人になった。母るりさんは「持病もなく、3日ほど前に電話で話したときも元気そうだったのに」と話した。
告別式は12日正午から福岡県遠賀郡水巻町中央2の1「水巻記念館」で営まれる。喪主は父小島政彦(こじま・まさひこ)氏。
ドラフトで選ばれたオリックスから1年で球団合併により分配ドラフトから漏れ、楽天へ。
さらに1年後、楽天でも戦力外にもなり、そして次の1年間、オリックスにいました。
確かにオリックスの一員でした。
一軍の戦力にはなれなかったけど、あの頃のサーパス(当時オリックス二軍チーム)では
坂口・T-岡田・下山・柴田・横山・中山・嶋村・早川といった面々と一緒に練習を積んでいたものです。
岐阜の長良川球場での試合、強風で煽られる飛球に踊らされ、案の定落として内匠コーチに大目玉くらってたこともありましたね。
でもスイングの強さはしっかり覚えています。
あの試合、サーパスはわずか3安打だったけど、その中で小島がしっかりヒットを打っていたしね。
あまり表舞台に出ていなかっただけに、今はもう知ってる人は少ないかもしれないけど、
プロ野球選手としての誇りを胸に。
心よりご冥福をお祈りします。
小島昌也氏26歳急死 元オリックス外野手(日刊スポーツ)
元オリックス外野手の小島昌也(こじま・まさや)氏が9日に心室細動のため都内で亡くなったことが11日、分かった。享年26。
福岡県生まれで、自由ケ丘では右の長距離打者として通算51本塁打を放ち、03年ドラフト7巡目でオリックス入団。04年オフに近鉄の球団合併による分配ドラフトで楽天に移籍。05年オフに自由契約になり、06年はオリックスに再入団したが同年10月に戦力外となった。1軍出場はなく、米国で現役続行の道を探ったが福岡に戻り、北九州市民硬式野球クラブで野球を続けた。現勤務先の都内の自宅で倒れ、帰らぬ人になった。母るりさんは「持病もなく、3日ほど前に電話で話したときも元気そうだったのに」と話した。
告別式は12日正午から福岡県遠賀郡水巻町中央2の1「水巻記念館」で営まれる。喪主は父小島政彦(こじま・まさひこ)氏。
ドラフトで選ばれたオリックスから1年で球団合併により分配ドラフトから漏れ、楽天へ。
さらに1年後、楽天でも戦力外にもなり、そして次の1年間、オリックスにいました。
確かにオリックスの一員でした。
一軍の戦力にはなれなかったけど、あの頃のサーパス(当時オリックス二軍チーム)では
坂口・T-岡田・下山・柴田・横山・中山・嶋村・早川といった面々と一緒に練習を積んでいたものです。
岐阜の長良川球場での試合、強風で煽られる飛球に踊らされ、案の定落として内匠コーチに大目玉くらってたこともありましたね。
でもスイングの強さはしっかり覚えています。
あの試合、サーパスはわずか3安打だったけど、その中で小島がしっかりヒットを打っていたしね。
あまり表舞台に出ていなかっただけに、今はもう知ってる人は少ないかもしれないけど、
プロ野球選手としての誇りを胸に。
心よりご冥福をお祈りします。
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