小さい頃の思い出深いバスの車掌さんについて、
つらつらとだらだらとマニアックに書かせていただきます。
冒頭写真は、トトロに出てくる女性のバスの車掌さん。
だいぶん昔は、バスの車掌さんには女性が多かったようで。
■山陽バスの車掌さんのいた頃
約11年前の1997年のゴールデンウィーク頃まで、私が住んでいた神戸の垂水駅発の山陽バスには車掌さんがいました。
幼稚園児の頃から、垂水駅へ出るときは車掌さんのいるバスに乗っており、一番身近な働く人でした。
なんでこんな道、走ってんの?という狭くて急な坂道の多い住宅地内の道。
1系統の高が平(現、歌中前)の循環線の一方通行路やセンターラインも歩道もないとこや、
2・3系統の商大下~商大前(現、千代が丘~星陵高校前)の見通しの悪くて狭くて急なカーブの多い坂など、
難所といえるとこがありましたから。
おそらく、あまりに道が狭くて、ワンマン(運転手のみ)では運行しちゃいけないという決まりがあったというふうに聞いてます。
運転手の腕は凄かったのは確か。
それと、同じ道を走るドライバーも地元の人が多かったものですから、
見通しの悪いとこで、結構バス優先でゆずりあって行き違いをしてたものです。
夜では、先に譲る方がライトを落としたりしてましたから。
駅までバスに乗っていくというのが普通で、坂も多いからチャリンコもあまり使われない土地がらで、
そんなに車の量も今ほど多くなかったかもしれません。
それが、時代は変わり、
1系統のどうしようもない道の方は、小型のバスで、
2・3系統の商大筋は、道が広くなったもので、車掌さんはいなくなりました。
今では、商大筋もさらに拡張、というか、違うとこに切り替えられて広い道に。
ただ、明石海峡大橋の開通や、学園都市方面の宅地開発とかで、車の数も増えましたし、
11年前と比べると違う原因でよくバスが遅れてるように思います。
で、その車掌のいたバス。
昔は女性の車掌さんが多かったようですが、山陽バスはみんな男性でした。
朝のラッシュ時には、大学生などのアルバイトの方も多かったですが、基本的に年配の方が多かったように思います。
僕が見た限りでの車掌さんのお仕事は・・・
・ 狭い道路での誘導というか合図(窓から顔を出したりしてました)
・ 車内アナウンス 「清水が丘行きです、次は仲田」
・ ドアの開け閉め、運転手への出発の合図(「オーライ!」て掛け声)
・ 降車の合図
(つぎ降ります、て車掌に言うと、代わりに車掌用のボタンを押したり、古い車両ではボタンが無かったですし)
・ 運賃の受け取り
と、いう感じでした。
小さい頃は、ドアの開け閉めのレバーが触りたくてしょうがなかったです。
それに、運転手さんとの合図には、「オーライ」という掛け声のほか、ブザーを「ぶ、ぶ、」とも「ぎ、ぎ、」ともいえる音で鳴らしていて、
そのボタンも押してみたかったものです。
あと、バスの乗り降りは、どちらも後ろのドア。
運賃箱も後ろのドアにあって、その後ろに車掌さんがいました。
前のドアは全く意味ありません。運転手さんの乗り降りだけのためのドアみたいでした。
夏の暑いときなんか、開けっ放しで走ってたような記憶さえあります。
運転席と前のドアに行けないよう、1本の棒で仕切られてました。
今、バスの本数も増えて、道幅も広くなって便利になったんですが、
なんか普通になってしまったのは、「趣味的にみて」物足りなく感じたりするものです。
■現存しているバスの車掌さん
ふと、バスの車掌さんのことについて調べてみたところ、垂水区の例はほんとに貴重だったらしく、
ボンネットバスなどでの観光案内以外で車掌さんが乗務してるところを見つけるのは、なかなか無いみたいですね。
それが。
あったんですよ。
というわけで、実際に行ってきました。
場所は西武線・飯能駅。
ここから出ている、国際興業バスのうち、中沢ゆき。
参考:飯能駅 中沢方面 飯04・05時刻表。
見る限り、ここに来るのはワンマンのバスしかいません。当たり前ですが。
そして、1日数本しか走っていない、中沢ゆきのバスが乗り場に来ました。
入り口は後ろ側から。
ドアの後ろに人影が。
車掌さん、確かにおられました。
私にとっては、非常に懐かしい光景です。
少しお仕事中の様子を拝見しました。
こちらも狭窄道路での運行ということで、ワンマン(運転手のみ)の運行が認められなかったようです。
車掌さんは、きびきびと、堂々と、指差呼称され、「車内確認ヨシ、オーライ」 という声が車内に響いておりました。
今の時代の流れといいますか、完全にバスの車内はワンマン用でして
・ ドアの開け閉めは、運転手さんの仕事。
・ 運賃箱は運転手の隣(前扉のほう)に設置され、降りるときにお金を受け取るのも運転手さんの仕事。
・ カーブや交差点を曲がるときには、運転手さんからマイクで注意の案内がされてました。
・ 降りるときは、車掌さんに声をかけるまでもなく、ブザーを押して運転手に知らせました。
・ 車内アナウンスも、テープの声。テープを回すのも、運転手さんの仕事。
・ 車掌用のスペースもなく、後ろのドアに近い普通の1席が車掌さんの立ち位置となってました。
完全に車掌さんのお仕事は、狭い道での誘導など安全確認に限られたもののようです。
それでも、バスの車掌さんが、ここでは必要な存在として活躍されてたということを、
しみじみ感じることはできました。
時間とお気持ちに余裕のある方は、ぜひともぽちっと1回どうぞ。
つらつらとだらだらとマニアックに書かせていただきます。
冒頭写真は、トトロに出てくる女性のバスの車掌さん。
だいぶん昔は、バスの車掌さんには女性が多かったようで。
■山陽バスの車掌さんのいた頃
約11年前の1997年のゴールデンウィーク頃まで、私が住んでいた神戸の垂水駅発の山陽バスには車掌さんがいました。
幼稚園児の頃から、垂水駅へ出るときは車掌さんのいるバスに乗っており、一番身近な働く人でした。
なんでこんな道、走ってんの?という狭くて急な坂道の多い住宅地内の道。
1系統の高が平(現、歌中前)の循環線の一方通行路やセンターラインも歩道もないとこや、
2・3系統の商大下~商大前(現、千代が丘~星陵高校前)の見通しの悪くて狭くて急なカーブの多い坂など、
難所といえるとこがありましたから。
おそらく、あまりに道が狭くて、ワンマン(運転手のみ)では運行しちゃいけないという決まりがあったというふうに聞いてます。
運転手の腕は凄かったのは確か。
それと、同じ道を走るドライバーも地元の人が多かったものですから、
見通しの悪いとこで、結構バス優先でゆずりあって行き違いをしてたものです。
夜では、先に譲る方がライトを落としたりしてましたから。
駅までバスに乗っていくというのが普通で、坂も多いからチャリンコもあまり使われない土地がらで、
そんなに車の量も今ほど多くなかったかもしれません。
それが、時代は変わり、
1系統のどうしようもない道の方は、小型のバスで、
2・3系統の商大筋は、道が広くなったもので、車掌さんはいなくなりました。
今では、商大筋もさらに拡張、というか、違うとこに切り替えられて広い道に。
ただ、明石海峡大橋の開通や、学園都市方面の宅地開発とかで、車の数も増えましたし、
11年前と比べると違う原因でよくバスが遅れてるように思います。
で、その車掌のいたバス。
昔は女性の車掌さんが多かったようですが、山陽バスはみんな男性でした。
朝のラッシュ時には、大学生などのアルバイトの方も多かったですが、基本的に年配の方が多かったように思います。
僕が見た限りでの車掌さんのお仕事は・・・
・ 狭い道路での誘導というか合図(窓から顔を出したりしてました)
・ 車内アナウンス 「清水が丘行きです、次は仲田」
・ ドアの開け閉め、運転手への出発の合図(「オーライ!」て掛け声)
・ 降車の合図
(つぎ降ります、て車掌に言うと、代わりに車掌用のボタンを押したり、古い車両ではボタンが無かったですし)
・ 運賃の受け取り
と、いう感じでした。
小さい頃は、ドアの開け閉めのレバーが触りたくてしょうがなかったです。
それに、運転手さんとの合図には、「オーライ」という掛け声のほか、ブザーを「ぶ、ぶ、」とも「ぎ、ぎ、」ともいえる音で鳴らしていて、
そのボタンも押してみたかったものです。
あと、バスの乗り降りは、どちらも後ろのドア。
運賃箱も後ろのドアにあって、その後ろに車掌さんがいました。
前のドアは全く意味ありません。運転手さんの乗り降りだけのためのドアみたいでした。
夏の暑いときなんか、開けっ放しで走ってたような記憶さえあります。
運転席と前のドアに行けないよう、1本の棒で仕切られてました。
今、バスの本数も増えて、道幅も広くなって便利になったんですが、
なんか普通になってしまったのは、「趣味的にみて」物足りなく感じたりするものです。
■現存しているバスの車掌さん
ふと、バスの車掌さんのことについて調べてみたところ、垂水区の例はほんとに貴重だったらしく、
ボンネットバスなどでの観光案内以外で車掌さんが乗務してるところを見つけるのは、なかなか無いみたいですね。
それが。
あったんですよ。
というわけで、実際に行ってきました。
場所は西武線・飯能駅。
ここから出ている、国際興業バスのうち、中沢ゆき。
参考:飯能駅 中沢方面 飯04・05時刻表。
見る限り、ここに来るのはワンマンのバスしかいません。当たり前ですが。
そして、1日数本しか走っていない、中沢ゆきのバスが乗り場に来ました。
入り口は後ろ側から。
ドアの後ろに人影が。
車掌さん、確かにおられました。
私にとっては、非常に懐かしい光景です。
少しお仕事中の様子を拝見しました。
こちらも狭窄道路での運行ということで、ワンマン(運転手のみ)の運行が認められなかったようです。
車掌さんは、きびきびと、堂々と、指差呼称され、「車内確認ヨシ、オーライ」 という声が車内に響いておりました。
今の時代の流れといいますか、完全にバスの車内はワンマン用でして
・ ドアの開け閉めは、運転手さんの仕事。
・ 運賃箱は運転手の隣(前扉のほう)に設置され、降りるときにお金を受け取るのも運転手さんの仕事。
・ カーブや交差点を曲がるときには、運転手さんからマイクで注意の案内がされてました。
・ 降りるときは、車掌さんに声をかけるまでもなく、ブザーを押して運転手に知らせました。
・ 車内アナウンスも、テープの声。テープを回すのも、運転手さんの仕事。
・ 車掌用のスペースもなく、後ろのドアに近い普通の1席が車掌さんの立ち位置となってました。
完全に車掌さんのお仕事は、狭い道での誘導など安全確認に限られたもののようです。
それでも、バスの車掌さんが、ここでは必要な存在として活躍されてたということを、
しみじみ感じることはできました。
時間とお気持ちに余裕のある方は、ぜひともぽちっと1回どうぞ。
実際それまで大型でも車掌の誘導なしに交差点を曲がっていたんですよね。
そう思うと、車内は混雑してちょっとサービスダウンの上、
運転手さんの仕事が増えたんじゃないかな、と思ったりします。
また、車掌台のある車両など今は作られなくなりましたから、
今も現役の車掌さんの役割が、あまりに安全確認だけに限られていて、お気の毒にも思えます。
もちろん、れっきとした役割のあるお仕事ですから、現役の方には頑張っていただきたいと思います。
いました。
バスと言えばワンマンというのが当然だった自分に
とっては、ツーマンの存在は「なぜ?」という思い
にさせました。
結局その路線が、道の狭い所を走るということで、
誘導役として車掌さんが乗ってたと知ったのは、
大分後になってからでした。
今では、狭い道を運転手だけで対応させるために
車両自体を小さくして運行させるケースが増えて
いると聞いたことがあります。
「効率化・人件費削減」が叫ばれる今とは違った
時代の象徴の1つがツーマンバスだったのかなと
思ってしまいます。
市ヶ谷は今の職場に近いので、せっかくなので乗っておこうかなと思います。
他に私の印象に残ってるのは京都のJRバスとか市営バス。
案外1車線の道幅は狭い京都の道で、豪快な印象がありました。
広島の路面電車の車掌さんも見たことはありますよ。
実は、あの古い3両の電車に乗ってる車掌さんとも雰囲気が似てました。
それが、2011年までに車掌常務は無くなるという話も出てまして。
http://www.chugoku-np.co.jp/it/Nn07022401.html
それまでにもう一度、働く姿を見ておきたいものです。
私が育ったところは日本で一番最初に
自動改札が出来たところです。
その逆で、珍しいものが見れたのは
貴重ですね。
運転手が上手いといえば
東京の市ヶ谷-霞が関のバス。
右折のため国会近くで数車線を
横断するところは凄いです。
路面電車で最近はワンマンが多い中
広島のは車掌さんが居ました。
そういえばメルボルンの路面電車、
かっこいい若いおねいさん車掌も
いたりしてよかったのですが
次に行ったときは機械に替わってました
残念。
http://www.flickr.com/photos/hiromori2/54687268/