年末、実家に帰ったときに、ごそごそと部屋のクローゼット内を探していたら出てきたもの。
それは、MRIの写真。
かつて、私は腰椎の椎間板ヘルニアで苦しんだ時期がありました。
原因は、中学から20歳までやってた陸上競技の練習で、バーベルを使ったウエイトトレを結構やってたもので、そのときにできたんだろうと。
現役を退いた途端、腹筋・背筋が弱くなりますから、支えてる上半身をヘルニア持ちの背骨が支えきれず、急に左側面の神経痛や痺れ、ついには腰も痛みが発するようになりました。
その後、自分は親元を離れて広島に下宿してたもので、
近所の整形外科に通うのがやっとのことだったんですが、
何度、ブロック注射などを打っても効かないということで、ちゃんと大きな病院で診て来いと言われ、
広島市内でMRIを撮ってきたものがこれ。
背骨の下2段の軟骨が、後ろの神経(白いとこ)に完全に突き刺さってますね。
あと、色が他より黒いんは、水分が抜けてるよ、て言われました。
こりゃ注射どころでおさまるもんじゃない、と通ってた近所の整形外科の医者が言うこともあり、
この写真を地元の神戸の病院へ持っていき、学校の春休みの期間を利用して手術を受けることを決断。
そんときの診断書がこれ。
摘出術。
事前の説明では、ニッパーみたいなもんで、ガジガジ取るよ、て言われ、
はぁ、と返すしかなかったんですが。
で、まぁ麻酔はよく効き、手術中のことなど全く覚えてません。
今まで手術室で何度も注射を打たれたことに比べたらね。
んが。
いっちばんキツかったんは、その後。
手術して丸6日、完全な安静状態だったこと。
<苦労その1・ひたすら仰向け>
起き上がることは許されず、寝返りするのもナースがストップウォッチ持ってきて
「30分だけね」
といわれたり。
そもそも、普段から仰向けで寝てなかったもので、上向いて寝るだけでも多少のストレスを感じるものです。
<苦労その2・メシ>
お茶碗に入ってたご飯がおにぎりに変わったほかは、まったく変わらないものが出てきました。
味噌汁も。
仰向けに寝てる自分は、おわんの中身が見れず、飲むのに苦労したもんです。
<苦労その3・トイレ>
そらこれがいっちばん苦労したわ。
なにせ、ナースは美人さんばっかりやったから。
(小)の方は、手術中のときからすでに「管」(バルーンていってた)が入ってたんですが、
3日経って膀胱炎になり、熱がでました。
かえって、ナースの方々に看病してもらえ・・・以下略。
そういう苦労もあってですが、
2週間の入院を経て、お陰様で私は良くなったものです。
退院後も、それなりに腰痛体操をしながらリハを繰り返したもんで。
手術したのは2月28日でしたが、その年の秋には、大学内の駅伝にも出ましたし。
そういうのは、自分の体験談ということで。
同じような境遇で、、
大阪・神戸で活躍されてるオリックス・バファローズの私設応援団である
「大阪紅牛会」のメンバーのお一人で、BOSSでもあるd.r.b氏。
手術をこないだ施され、リハビリを繰り返し頑張っておられます。
オリックスの魅力は、外野の応援あってのこと。
とくにトランペットの音色は、12球団一美しいといえる大阪の応援で盛り上げてくれてる方ですから、
快方に向かい、再び外野スタンドを盛り上げてくれることを願って止まないところです。
闘病中のこと、ですが、新しい応援歌の作曲もされるとか。
これは、開幕戦もそうですが、大阪・神戸での応援団さんとともに、シーズンに入れば外野で盛り上げたいですね。
勝手ながら、こちらでも応援しております。
2007年度の野球観戦実績はこちら。
時間とお気持ちに余裕のある方は、ぜひともぽちっと1回どうぞ。
それは、MRIの写真。
かつて、私は腰椎の椎間板ヘルニアで苦しんだ時期がありました。
原因は、中学から20歳までやってた陸上競技の練習で、バーベルを使ったウエイトトレを結構やってたもので、そのときにできたんだろうと。
現役を退いた途端、腹筋・背筋が弱くなりますから、支えてる上半身をヘルニア持ちの背骨が支えきれず、急に左側面の神経痛や痺れ、ついには腰も痛みが発するようになりました。
その後、自分は親元を離れて広島に下宿してたもので、
近所の整形外科に通うのがやっとのことだったんですが、
何度、ブロック注射などを打っても効かないということで、ちゃんと大きな病院で診て来いと言われ、
広島市内でMRIを撮ってきたものがこれ。
背骨の下2段の軟骨が、後ろの神経(白いとこ)に完全に突き刺さってますね。
あと、色が他より黒いんは、水分が抜けてるよ、て言われました。
こりゃ注射どころでおさまるもんじゃない、と通ってた近所の整形外科の医者が言うこともあり、
この写真を地元の神戸の病院へ持っていき、学校の春休みの期間を利用して手術を受けることを決断。
そんときの診断書がこれ。
摘出術。
事前の説明では、ニッパーみたいなもんで、ガジガジ取るよ、て言われ、
はぁ、と返すしかなかったんですが。
で、まぁ麻酔はよく効き、手術中のことなど全く覚えてません。
今まで手術室で何度も注射を打たれたことに比べたらね。
んが。
いっちばんキツかったんは、その後。
手術して丸6日、完全な安静状態だったこと。
<苦労その1・ひたすら仰向け>
起き上がることは許されず、寝返りするのもナースがストップウォッチ持ってきて
「30分だけね」
といわれたり。
そもそも、普段から仰向けで寝てなかったもので、上向いて寝るだけでも多少のストレスを感じるものです。
<苦労その2・メシ>
お茶碗に入ってたご飯がおにぎりに変わったほかは、まったく変わらないものが出てきました。
味噌汁も。
仰向けに寝てる自分は、おわんの中身が見れず、飲むのに苦労したもんです。
<苦労その3・トイレ>
そらこれがいっちばん苦労したわ。
なにせ、ナースは美人さんばっかりやったから。
(小)の方は、手術中のときからすでに「管」(バルーンていってた)が入ってたんですが、
3日経って膀胱炎になり、熱がでました。
かえって、ナースの方々に看病してもらえ・・・以下略。
そういう苦労もあってですが、
2週間の入院を経て、お陰様で私は良くなったものです。
退院後も、それなりに腰痛体操をしながらリハを繰り返したもんで。
手術したのは2月28日でしたが、その年の秋には、大学内の駅伝にも出ましたし。
そういうのは、自分の体験談ということで。
同じような境遇で、、
大阪・神戸で活躍されてるオリックス・バファローズの私設応援団である
「大阪紅牛会」のメンバーのお一人で、BOSSでもあるd.r.b氏。
手術をこないだ施され、リハビリを繰り返し頑張っておられます。
オリックスの魅力は、外野の応援あってのこと。
とくにトランペットの音色は、12球団一美しいといえる大阪の応援で盛り上げてくれてる方ですから、
快方に向かい、再び外野スタンドを盛り上げてくれることを願って止まないところです。
闘病中のこと、ですが、新しい応援歌の作曲もされるとか。
これは、開幕戦もそうですが、大阪・神戸での応援団さんとともに、シーズンに入れば外野で盛り上げたいですね。
勝手ながら、こちらでも応援しております。
2007年度の野球観戦実績はこちら。
時間とお気持ちに余裕のある方は、ぜひともぽちっと1回どうぞ。
腰痛体操は参考になりましたよ。
でも6日間もベッドで仰向けは文章読んでるだけで苦痛を感じました
PS今月の鉄道ジャーナルが青函特集で、昨年9月にここで紹介してた船の記事もありましたよ。
赤い字で「疲れるまで」て書いてありますんで、ご注意を。
(ナースが書いていきました)
青函特集ですか。
あの船、ほんとに良かったです。また乗りたいです。
http://blog.goo.ne.jp/winddriven-current-kzm/e/8e994ae7742202863ae82fae0c822e58
久々に思い出しました。THANK YOU です。
実は私、今この検査を受けようとする身なんです。
婦人科術後の経過観察で別の病名の疑いが出てきました。
そのとき撮ったMRIによると、婦人科系は大丈夫だったのですが、腰の骨と脊椎の間にどうやら水がたまっている『らしい』とのことで…整形外科的なMRIの検査&診察をを2/1に受けることになりました。
うわ~何て日に予約入れたんやろ。
野球人の正月なのに。
昔からの空気読めない自分を、どんだけ悔やんだことでしょうか。
そんなこんなで、この話題は他人事でないような気がしてなりません。
暗い話題で申し訳ありませんでした。m(__)m
MRI、狭いとこが苦手とか仰向けが苦痛とかでなければ、大丈夫だと思いますよ。
私が入院していたとき、同じ病室の方で、namirip9さんの症状に似た人がいました。
毎日、二人で手術して二人とも安静状態でしたので、
ベットで寝ながら上を向きながら大声でしゃべっていたものです。
小○一三さんて、名前がかつての阪急オーナー似てる人やなぁ、て今思い出しました。
おっとこちらも暴走して失礼。
われわれ野球観戦者の正月は、オープン戦とか、シーズン開幕とかにしときましょう。
お大事に。
私も14年間悩まされました。
私が考案した腰痛解消法をお試しください。
【3分腰痛解消法】で、検索すると見つかります。
腰をお大事に。