風に乗れ -Winddriven Current-

ワイヤーフォックステリアのナイトさんとORIXを応援する日々
“Challenge Together @KOBE”

3.11

2012-03-11 | 風景画-みちのく
2011年3月11日から1年。
あの日を境に、物事が色々変わりました。
地震と津波が恐ろしいものだということ、自然の力によって人の命と町そのものが破壊されてしまうこと。

でも17年前の阪神淡路大震災の時も、確かそれを学んだはず。
そのとき神戸にいた者としては、地震から1ヶ月も経てばメディアが伝える情報も
「これがもし首都で起きたら大変なことになる」「様々なドラマがありましたね」
そういう見方しかされていなかったことに憤ったものです。

頭の包帯が血に染まったおばあちゃんや、水をもらうのに5時間並んでる人たちをドラマとして見せてるわけじゃないし、
神戸で起きてることよりも、東京でこれから起きることの方が大事なのか?という感じ。
そして、3ヵ月後には地下鉄サリン事件の発生で、そちらに世間の注目が奪われましたし。


さすがに今回の東日本大震災では、地震は東京でも大きな被害があったことや、阪神大震災の教訓なのか、
「ドラマ」という言葉がテレビから出なかったことについては前進したように思いました。


それが、今回、東日本で起きた大災害をただ見ていて恐ろしいと思うほかありませんでした。
特に、震災発生1年の区切りとして、昨日の夜に、当時より生々しい被災者が撮影した津波の映像は凄まじいものでした。

それを私は映画のように見ているのかもしれないし、
もしこれが今住んでいる大阪で起きたら(特に標高の低い地域に住んでいるし)と考えているわけで。
今まさに苦しんでいる当事者にすると失礼なことなのかもしれませんが、
その被害を教訓として自分の身に置き換えて考えることしか、その犠牲者の報いにできないのかもしれません。


確かに、阪神大震災からは年月が経って、記念の行事にも税金の無駄だと言われるほどになりました。
でも、私の実家の近所に大規模な市営住宅が立ち並んでいますが、それはすべて震災復興住宅です。
震災直後にとにかく急いで作った震災復興住宅を頼って生活している人が、17年経った今も数多くいるということ。
阪神大震災が完全に終わったと言えるのは、この住宅がなくなる遥か先の未来なのかもしれないと感じたものです。

東日本大震災もそれだけ長い年月の勝負が待ち構えているのは間違いありません。

先日、2月の下旬に、宮城県名取市に住んでる知り合いから急に電話がかかってきました。
震える声で「ねぇ、多賀城の寮にいた人たち、大丈夫なの?」

約1年間、今まで恐ろしくて聞けなかったそうで。
彼女自身も名取の海岸沿いに住んでいて、生き残るのに必死だったと思いますが、
大丈夫、そこの寮、津波が来る1年前に解体してなくなったんだよ、と応えると相当安心していました。
それだけ簡単なことでも、ひとつひとつ前に進むことに時間がかかることもあるのだと思います。


そして、この先また別の大きな地震(特に首都直下型地震など)が来ると、そちらに目が奪われてしまうのかもしれません。
うちらにしてみれば、いつまでも「1.17」を忘れないで欲しいと思うから。
そう思うと、やっぱり「3.11」に何があったのかという日を忘れないことだと思います。


写真は、よくダイビングをしに行った志津川(現在の南三陸市)の海。(2005年11月撮影)
漁師さんから生牡蠣を頂き、すごくおいしかった思い出が。



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