大津波警報、津波警報が発令されてますね。
めったにない現象だけに、「は?10cmの津波って・・」て思われてるかもしれませんが、それって無知な証拠。
チリから日本まで波が伝わってくるだけのエネルギーを持っていますし、内湾や河口ではすぐに2~3メートルの高さになります。(観測値は平均値)
多くの人が無関係で終わるかもしれませんが、くれぐれもバカにしないことが肝要だと思います。
さて、オープン戦開幕しましたね。
まー初戦のビジターゲームは大敗、2戦目のホームゲームは快勝。
ある程度狙い通りだったんでしょうか。ただ佳寿にはもっと期待したかったんですが。
で。この時期になって実感が沸いてくるのは、
タフィー・ローズは今年ほんとうにいないんだな、ということです。
チームも監督が代わって考え方が変わったのはわかります。
ただ、外国人打者としては史上最強の記録を残し、あわよくば日本人が作った記録をも破ろうとしていました。
そして、たとえ現役でなくなったとしても、日本・大阪が好きで、岡田貴弘をはじめ、
オリックスの後輩にも気に掛けていただけに、これからもチームと関係を持っていてくれるもんだと思っていたんですけどね。
何より、また来年、と言って明るく帰ってそのまま音沙汰がなくなってしまったのは寂しいものです。
ということで、記憶が薄れないうちにタフィー・ローズを少し振り返ることにします。
(2007年8月の週刊ベースボールマガジンより)
1年間ブランクがありながらもオリックス・バファローズへ入団したのは仰木さんからの熱心な誘い、
そしてブランクの間も球団が情報を取り続けていたことがあったようです。
オリックスにはテスト生として入団。
最初は他の2軍選手に交じって神戸サブ球場にてサーパスの試合に出ていました。
このとき、まさか復帰して早々活躍するとは誰も思わなかったものです。
それが2007年の開幕戦、福岡で斉藤和巳から放った衝撃的な復帰第一号HRから状況が激変。
また、巨人にいた経歴もあってか、その知名度から球団の看板としても活躍しました。
こんなフィギュア付きチケットなんかもありましたし。
忘れられないのは、2008年9月10日、10-9でサヨナラ勝ちしたロッテ戦。
2アウト満塁の場面から綺麗にセカンドの頭を越す2点タイムリーを放ったローズ。
シモヤマンがホームに滑り込んでセーフになったとき、ローズは1塁ベースを回ってヘルメットを真上へ放り投げた姿が印象的でしたね。
2009年も開幕して1ヶ月以内に本塁打11本放つ活躍。
2009/4/26 ハム戦@スカイでは、1試合3ホーマー、通算450号ホームランも記録しましたね。
それがうまくいきすぎていて、油断があったということなのでしょうか。
2009/5/13 西武戦@スカイで悪夢の死球を受け、これが結果的に現状に響いてるんですよね。
結局八十数試合の出場でしたが、先制打17本(うち9本はホームラン)はリーグ最多でした。
出場する限りは自分の仕事をこなしていた、といえます。
戦力としてみる限り、いずれ若い日本人選手へのバトンタッチをしなければいけない時期は来るわけで。
それはわかってるんですけどね。
あまりにもクリーンナップを頼りにしているばかりに、打線の繋がりを欠いているという意見もあります。
日本ハムみたいに、日本一に貢献したターメル・スレッジを手放しても急激に弱くなることはない、
そういうチームが本当に強いのだということはよくわかります。
ただね。
中日にとって立浪がいるのと同じ、といえば大げさかもしれませんが、
オリファンとくに近鉄からのバファローズファンにとってはタフィーの存在は精神的な支柱と言っても過言じゃないと思います。
そういう選手に、惜別の機会もなく、去年の秋に「またこのチームで」と言い残したまま
音沙汰が無くなってしまったことが、何より寂しいことじゃないですか。
引退するとしても、今後ともチームや関西に関わりをもってほしいと思っていました。
ローズに関して忘れてはならないのは、王貞治のシーズン最多本塁打に並んだ2001年。
当時、近鉄の一外国人だったローズが55本のホームランを打ったことに対して、ずいぶん差別的な発言も受けました。
タフィ・ローズ-Wikipedia参照。
さすがに徳光の「肌の色が違って、血液型もよくわからないような奴に王さんの記録を抜いてほしくない」の発言は、いまだに納得がいかないですね。
ローズも巨人に移籍したので、徳光の考え方も変わったみたいですが。
この話は2003年のカブレラに対しても同様です。
そして最近、某朝日の朝の番組を見ていたところ、
朝青龍関が大相撲の勝利数更新をする前に引退勧告するのは当然、
それはかつて王貞治のホームラン数を外国人選手が上回ることを阻止するべきことと同じこと、
という主旨のコメントがありました。
(コメンテーターはローズやカブレラの名前も出ずに「スペンサーだっけ」と言っていた
くらいですから、中途半端な知識での失言には間違いありません)
日本人に活躍してほしいのはわかりますが、それとこれとは話が別でしょ。
多少素行が悪くとも、チームメイトのために体を張って抗議に出る姿は
侍に近かったのかもしれません。
日本の野球に残り続けて、ここまで力を出してきた人は他にいないんですよね。
日本球界にとって栄誉ある成績を残しながら、何も称えられないままサヨナラ。
その理由が「外国人だから」「オリックスだから」というのがね、なんともいえないのです。
(巨人の選手だったら取り上げ方が変わっていたかもしれませんよね。また張本なら当然だと言うかもしれませんが。)
オリックスの功労者としてよりも、日本のプロ野球界の宝として何も称えることがない、てのが納得いきません。
せっかく元アメリカ大使がコミッショナーをしているというのに。
(コミッショナーも講演で「巨人-阪神戦のアメリカ開催の実現」ばかりを言ってたらダメですよ)
ここまで不満を述べても、本人が選択した面もあると思うので、致し方ないとは思います。
なので、2005年にいきなりブライアントが1塁コーチをしていたように、ひょこっと大阪に現れてくれることを、今後長い時間の中で期待しています。
コメンテーターでも芸人でも何でも構いませんよ。
ただ、急にシーズン途中に日本ハムのユニフォームを着てる、とかは勘弁してください。
にほんブログ村
お時間とお気持ちに余裕がありましたら・・。
めったにない現象だけに、「は?10cmの津波って・・」て思われてるかもしれませんが、それって無知な証拠。
チリから日本まで波が伝わってくるだけのエネルギーを持っていますし、内湾や河口ではすぐに2~3メートルの高さになります。(観測値は平均値)
多くの人が無関係で終わるかもしれませんが、くれぐれもバカにしないことが肝要だと思います。
さて、オープン戦開幕しましたね。
まー初戦のビジターゲームは大敗、2戦目のホームゲームは快勝。
ある程度狙い通りだったんでしょうか。ただ佳寿にはもっと期待したかったんですが。
で。この時期になって実感が沸いてくるのは、
タフィー・ローズは今年ほんとうにいないんだな、ということです。
チームも監督が代わって考え方が変わったのはわかります。
ただ、外国人打者としては史上最強の記録を残し、あわよくば日本人が作った記録をも破ろうとしていました。
そして、たとえ現役でなくなったとしても、日本・大阪が好きで、岡田貴弘をはじめ、
オリックスの後輩にも気に掛けていただけに、これからもチームと関係を持っていてくれるもんだと思っていたんですけどね。
何より、また来年、と言って明るく帰ってそのまま音沙汰がなくなってしまったのは寂しいものです。
ということで、記憶が薄れないうちにタフィー・ローズを少し振り返ることにします。
(2007年8月の週刊ベースボールマガジンより)
1年間ブランクがありながらもオリックス・バファローズへ入団したのは仰木さんからの熱心な誘い、
そしてブランクの間も球団が情報を取り続けていたことがあったようです。
オリックスにはテスト生として入団。
最初は他の2軍選手に交じって神戸サブ球場にてサーパスの試合に出ていました。
このとき、まさか復帰して早々活躍するとは誰も思わなかったものです。
それが2007年の開幕戦、福岡で斉藤和巳から放った衝撃的な復帰第一号HRから状況が激変。
また、巨人にいた経歴もあってか、その知名度から球団の看板としても活躍しました。
こんなフィギュア付きチケットなんかもありましたし。
忘れられないのは、2008年9月10日、10-9でサヨナラ勝ちしたロッテ戦。
2アウト満塁の場面から綺麗にセカンドの頭を越す2点タイムリーを放ったローズ。
シモヤマンがホームに滑り込んでセーフになったとき、ローズは1塁ベースを回ってヘルメットを真上へ放り投げた姿が印象的でしたね。
2009年も開幕して1ヶ月以内に本塁打11本放つ活躍。
2009/4/26 ハム戦@スカイでは、1試合3ホーマー、通算450号ホームランも記録しましたね。
それがうまくいきすぎていて、油断があったということなのでしょうか。
2009/5/13 西武戦@スカイで悪夢の死球を受け、これが結果的に現状に響いてるんですよね。
結局八十数試合の出場でしたが、先制打17本(うち9本はホームラン)はリーグ最多でした。
出場する限りは自分の仕事をこなしていた、といえます。
戦力としてみる限り、いずれ若い日本人選手へのバトンタッチをしなければいけない時期は来るわけで。
それはわかってるんですけどね。
あまりにもクリーンナップを頼りにしているばかりに、打線の繋がりを欠いているという意見もあります。
日本ハムみたいに、日本一に貢献したターメル・スレッジを手放しても急激に弱くなることはない、
そういうチームが本当に強いのだということはよくわかります。
ただね。
中日にとって立浪がいるのと同じ、といえば大げさかもしれませんが、
オリファンとくに近鉄からのバファローズファンにとってはタフィーの存在は精神的な支柱と言っても過言じゃないと思います。
そういう選手に、惜別の機会もなく、去年の秋に「またこのチームで」と言い残したまま
音沙汰が無くなってしまったことが、何より寂しいことじゃないですか。
引退するとしても、今後ともチームや関西に関わりをもってほしいと思っていました。
ローズに関して忘れてはならないのは、王貞治のシーズン最多本塁打に並んだ2001年。
当時、近鉄の一外国人だったローズが55本のホームランを打ったことに対して、ずいぶん差別的な発言も受けました。
タフィ・ローズ-Wikipedia参照。
さすがに徳光の「肌の色が違って、血液型もよくわからないような奴に王さんの記録を抜いてほしくない」の発言は、いまだに納得がいかないですね。
ローズも巨人に移籍したので、徳光の考え方も変わったみたいですが。
この話は2003年のカブレラに対しても同様です。
そして最近、某朝日の朝の番組を見ていたところ、
朝青龍関が大相撲の勝利数更新をする前に引退勧告するのは当然、
それはかつて王貞治のホームラン数を外国人選手が上回ることを阻止するべきことと同じこと、
という主旨のコメントがありました。
(コメンテーターはローズやカブレラの名前も出ずに「スペンサーだっけ」と言っていた
くらいですから、中途半端な知識での失言には間違いありません)
日本人に活躍してほしいのはわかりますが、それとこれとは話が別でしょ。
多少素行が悪くとも、チームメイトのために体を張って抗議に出る姿は
侍に近かったのかもしれません。
日本の野球に残り続けて、ここまで力を出してきた人は他にいないんですよね。
日本球界にとって栄誉ある成績を残しながら、何も称えられないままサヨナラ。
その理由が「外国人だから」「オリックスだから」というのがね、なんともいえないのです。
(巨人の選手だったら取り上げ方が変わっていたかもしれませんよね。また張本なら当然だと言うかもしれませんが。)
オリックスの功労者としてよりも、日本のプロ野球界の宝として何も称えることがない、てのが納得いきません。
せっかく元アメリカ大使がコミッショナーをしているというのに。
(コミッショナーも講演で「巨人-阪神戦のアメリカ開催の実現」ばかりを言ってたらダメですよ)
ここまで不満を述べても、本人が選択した面もあると思うので、致し方ないとは思います。
なので、2005年にいきなりブライアントが1塁コーチをしていたように、ひょこっと大阪に現れてくれることを、今後長い時間の中で期待しています。
コメンテーターでも芸人でも何でも構いませんよ。
ただ、急にシーズン途中に日本ハムのユニフォームを着てる、とかは勘弁してください。
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お時間とお気持ちに余裕がありましたら・・。
金銭面だけでなく誰にもいえない事情もあったと思います
ある日突然「ただいま」と帰ってきそうな感じがいまだにします
こちらはいつでも歓迎しますよ~~ww
他球団に拾われることだけは止めてほしいです
いろいろと似合わないし・・・
最年長でボスらしいところもありましたし。
本当にこのまま何もしなくて良いの?という引っかかった気持ちのままですね。
加藤秀司さんが「ホームランの数にこだわらなかったら、あと4,5年はいけますよ」と答えていました。
そういう挑戦も見たかったりします。
また元気な顔が見たいですね。カール君と。
あれだけの選手ですので、それなりの儀式・幕引きを用意して欲しかったですが。。。
忘れた頃に、バファローズに帰って来てくれるんちゃうかなって思いたいです。
2009年までもその勢いを保てたのはローズだけですね。
あのバッティングセンスと配給の読みについて、日本に受け継がれてほしいものがあります。
ぜひまた顔を見せてほしいですね。