西宮生まれの神戸育ち、とのことで、根っからの阪急→BW→Bsの人間ではあり、
母方の祖父・伯父も古くからの阪急系統の人間ではあるのですが、
弟だけは、赤い猛牛の血が流れていたわけで。
なお、父は阪神、父方の祖父は広島という血筋でもあるんですが、
そこは曲げずに27年生きてきました。
■近鉄の思い出の品
そういうことで、今日は弟の部屋を物色。
大事に保管されてるものを見つけました。
まずは、コンニャクのように、滑らかな首の動き、梨田人形。
そして、未だ値札すら外してない、バフィー。
ユニとか着ないし、グッズも集めないタイプの弟も、
球界再編で騒がれたとき、記念に買い求めたんでしょうな。
一番大事にされていたのは、
大久保の痛恨の・・・
というより、もう今は、うちらのヒーローになった、アンパンマンの
代打逆転サヨナラ満塁優勝決定弾を打たれた、でなく打った新聞記事。
いまだ、弟とは少し視点が違うし、
「後藤光尊」については、全く意見が合わないところだけれども、
同じチームを応援することになったのも、何かの縁というのか。
■阪急の思い出の品は・・・
そうそう、阪急の血筋で思い出した、
僕が生まれて初めて西宮球場に行ったとき、
知らんおっちゃんからブレーブスの応援旗をもらったんやけど、
それ、どこいったんだろう。
久々に思い出したものやから、結構必死になって家中探してみた。
けど、結局見つからず。
おかんは、実家に帰ってきて、いきなりそんな行動に出た自分に驚き、
顔を青ざめて「そんな価値のあるもんやった?処分してしまったかな・・・」
と言うけど、
震災で家の中ぐちゃぐちゃになって、家も建て替えたことやし、
しょうがないもんやと思います。
(西神戸で被害はましなとこやのに、そんなぼろい家やったんです)
だって、もう19年も前の品やから。しょうがない。
■時間が経つのは・・・
阪急最後の年から19年。そして震災からもうすぐ12年。
この12と19という数字、
年数からいけば、
震災の年は、今よりも、幼い時の遠い過去と思っていた阪急最後の年の方が近い。
なんだか、僕の中で、遠い過去の阪急と、つい最近の震災、という時間感覚が狂ってる気が。。。
僕が、物心つく前後の記憶の捉え方が違うのもあるんだろうけど。
ましてや球団合併も、過去の話になろうとしてる。
■そんな中、頭の痛い話もあるけど、応援してるチームの正念場の今年
12月31日のスポーツ記事。
・・・オリックス最悪ノリ放出「ありうる」(日刊)
これを読んでると、やっぱり谷・早川のトレードは、BW色を消し、
どんなにチームに迷惑をかけようが、中村ノリを残して大阪元年を近鉄色に染めようと企んでるんか?
という見方をしてしまうんですが。
そんなん、もう野球チームやないやんか。
チームの成績は下がり、選手の年俸下げて、それでも観客動員は向上した去年って
最高に成功したってことか?
おそらく、今年のシーズンが終わってから、このチームがどうなっていくのかが
注目せざるを得ない年という、覚悟も決めなきゃ行けない年かなと正直思ってます。
こんな状態では、近鉄を応援していた弟も気分をよくしてない、と話をしました。
すっきり野球で勝てることと、安心できる将来を、夢みてます。
母方の祖父・伯父も古くからの阪急系統の人間ではあるのですが、
弟だけは、赤い猛牛の血が流れていたわけで。
なお、父は阪神、父方の祖父は広島という血筋でもあるんですが、
そこは曲げずに27年生きてきました。
■近鉄の思い出の品
そういうことで、今日は弟の部屋を物色。
大事に保管されてるものを見つけました。
まずは、コンニャクのように、滑らかな首の動き、梨田人形。
そして、未だ値札すら外してない、バフィー。
ユニとか着ないし、グッズも集めないタイプの弟も、
球界再編で騒がれたとき、記念に買い求めたんでしょうな。
一番大事にされていたのは、
大久保の痛恨の・・・
というより、もう今は、うちらのヒーローになった、アンパンマンの
代打逆転サヨナラ満塁優勝決定弾を打たれた、でなく打った新聞記事。
いまだ、弟とは少し視点が違うし、
「後藤光尊」については、全く意見が合わないところだけれども、
同じチームを応援することになったのも、何かの縁というのか。
■阪急の思い出の品は・・・
そうそう、阪急の血筋で思い出した、
僕が生まれて初めて西宮球場に行ったとき、
知らんおっちゃんからブレーブスの応援旗をもらったんやけど、
それ、どこいったんだろう。
久々に思い出したものやから、結構必死になって家中探してみた。
けど、結局見つからず。
おかんは、実家に帰ってきて、いきなりそんな行動に出た自分に驚き、
顔を青ざめて「そんな価値のあるもんやった?処分してしまったかな・・・」
と言うけど、
震災で家の中ぐちゃぐちゃになって、家も建て替えたことやし、
しょうがないもんやと思います。
(西神戸で被害はましなとこやのに、そんなぼろい家やったんです)
だって、もう19年も前の品やから。しょうがない。
■時間が経つのは・・・
阪急最後の年から19年。そして震災からもうすぐ12年。
この12と19という数字、
年数からいけば、
震災の年は、今よりも、幼い時の遠い過去と思っていた阪急最後の年の方が近い。
なんだか、僕の中で、遠い過去の阪急と、つい最近の震災、という時間感覚が狂ってる気が。。。
僕が、物心つく前後の記憶の捉え方が違うのもあるんだろうけど。
ましてや球団合併も、過去の話になろうとしてる。
■そんな中、頭の痛い話もあるけど、応援してるチームの正念場の今年
12月31日のスポーツ記事。
・・・オリックス最悪ノリ放出「ありうる」(日刊)
これを読んでると、やっぱり谷・早川のトレードは、BW色を消し、
どんなにチームに迷惑をかけようが、中村ノリを残して大阪元年を近鉄色に染めようと企んでるんか?
という見方をしてしまうんですが。
そんなん、もう野球チームやないやんか。
チームの成績は下がり、選手の年俸下げて、それでも観客動員は向上した去年って
最高に成功したってことか?
おそらく、今年のシーズンが終わってから、このチームがどうなっていくのかが
注目せざるを得ない年という、覚悟も決めなきゃ行けない年かなと正直思ってます。
こんな状態では、近鉄を応援していた弟も気分をよくしてない、と話をしました。
すっきり野球で勝てることと、安心できる将来を、夢みてます。
いつまで経っても忘れたくないものはあるもんですね。
今年も宜しくお願いします!
またいろいろ見せてくださいね。
また、時が経っても、いつまでも大切に持っていてください。
私のように、失って後悔してる者もいますので。
今年もよろしくお願いします☆
藤井寺時代に球場に置かれていた、「Buffaloes news」や大阪地下鉄の駅やドームに置かれていた「Buffie Buffie」等のフリーペーパーが近鉄時代の宝物です。
いつも余分に持って帰ってましたよ。
球場で配布されてる冊子とかフリーペーパーって、
改めて読んでみると、その時代が振り返られて、いいものですよね。
ずっと大事にしていてください。
どんな血筋であろうと、皆さん仲は良いので気になさらないでくださいね。