


秋色に染まった総合運動公園。
神戸サブ球場ではオリックス投手陣の練習が行われていましたが、
スカイマークスタジアム内には野手陣の中でも選抜メンバーが汗を流していたようです。
非公開なのですが、ライトスタンド入口の隙間に必死に目を凝らしてると・・

まー見るならスカイレストランで食事しなきゃ。
打球の乾いた音は球場の外まで聞こえてました。
スカイレストランでは打球の音や掛け声は聞こえません。
高知へ行くのが正解かもしれませんね。
その球場の外では・・・


ユニバー記念競技場を中心に中学生の駅伝大会が行われてました。
もちろん私の後輩達もいたわけですよ。
私がいた頃はこの陸上部の創設期でした。
いろいろ大変だったんだよ。顧問と校長が喧嘩したり。後を継いだ顧問も自律神経壊して退職したり。
通信陸上が限界だったなぁ。
そんな時代は遥か彼方。
立派な応援旗が出来ていたことに、時代が変わったことを思い知らされます。


この駅伝コースの面白いところは、スタンドの通路も走路になっていること。
そしてアナウンス担当の先生の声も。(他校の先生からもスピーカーと呼ばれてた)
これは私が中学生のときから変わってません。もう15年前の話。
春になると、この競技場で思い切り400メートルを走り切って、目が回って貧血になって、
ウォーミングアップ用の補助競技場のフィールドでぐったり寝そべって休んだもの。
そうして、意識が戻ってくるうちに隣の球場(グリーンスタジアム神戸)から聞こえてくるDJ.KIMURAの声や、
たまにイチローの地鳴りのようなコールがありました。
私は100、200メートルを走る瞬発力もなく、長距離の持久力もなかったので、400メートル競技が専門でした。
これがいつも1本走りきると、特に午前中の競技では毎回激しく貧血を起こし、乳酸を貯めてふくらはぎを痙攣させていました。
学生の全力で走る姿を見て、その頃を思い出しました。
試合が終わった後に塾に行ったもんですよ。
あの頃は、殆どオリックスの試合を球場の中で見ることは無かったけれど、
オリックスとともに運動公園で過ごしていた一神戸市民でした。
今思えば、社会に出るまでに、もっと見に行っておけばよかったかな・・と思ったりします。
でも、自分は自分の立場で、ずっとユニバー競技場のトラックを目指して練習を積んで過ごしたことは後悔していません。
ユニバー競技場内を見下ろせる、急な上り坂をユニバー坂といいます。
ユニバー坂の頂上まで行けば、コスモスの丘。

お時間とお気持ちに余裕がありましたら・・。
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