東急武山線を調べて1年半。
調べているうちに見つけた「横須賀軌道」という鉄道建設計画。
これは、免許が下りなかったので、未成線にもなりませんが、東急武山線、横須賀市電ともに路線図がない中、唯一路線図が形となって残っているものです。
「横須賀軌道」は前にブログに書きましたが、昭和6年に申請、昭和8年に却下された路線です。
私鉄の申請は、鉄道関係法案と景気に連動し、明治半ば、大正末、昭和2年頃(恐慌前)に集中しています。
その多くは却下されています。
中には、東京から大阪まで何回も申請した団体もありました。
すでに申請されているところに別の団体が申請するということもたくさんあったようです。
三浦半島でも、湘南電鉄が三浦半島周回鉄道の申請をしてからあとに、ほぼ同様の申請をした団体もありました。
以上は国立公文書館の資料からわかることです。
「横須賀軌道」も路線バスとほぼ同様の路線のため却下となりました。
その路線を追ってみましょう。
これは文化会館の下のあたりでしょうか?
写真撮っている私が覚えていない。
この辺りはずーっと商店街です。
道は真っ直ぐ行くとカクッと曲がる感じ。いかにも設計しましたという感じです。
横須賀軌道の路線図も同じようになってます。
ここは、通りがかりのパン屋さん。「みのりや」
ここのハンバーガーはおいしいです。今も作っているのでしょうか?
私は、クリームパンも好きです。コッペパンも懐かしの味です。
もう少し行くと細い道があります。旧道でしょうか?
聖徳寺坂との交差点。
戦後の市電案では聖徳寺坂を上って衣笠駅前を通り追浜のほうに行く循環路線が提案されています。
聖徳寺坂もなかなかですが、衣笠を抜けて、どの坂を下りたら安全に追浜に行けるのか?私にはわかりません。
この辺りはずっと平坦です。鉄道は走りやすいと思います。
ここが不入斗のあたり。ここまで、大した交差点もなく一本道です。
ここで、いくつかの道が入り組みます。
不入斗公園は昔、陸軍の練兵場だったそうです。
横須賀軌道は軍事施設を縫うように計画されていたことがわかります。
調べているうちに見つけた「横須賀軌道」という鉄道建設計画。
これは、免許が下りなかったので、未成線にもなりませんが、東急武山線、横須賀市電ともに路線図がない中、唯一路線図が形となって残っているものです。
「横須賀軌道」は前にブログに書きましたが、昭和6年に申請、昭和8年に却下された路線です。
私鉄の申請は、鉄道関係法案と景気に連動し、明治半ば、大正末、昭和2年頃(恐慌前)に集中しています。
その多くは却下されています。
中には、東京から大阪まで何回も申請した団体もありました。
すでに申請されているところに別の団体が申請するということもたくさんあったようです。
三浦半島でも、湘南電鉄が三浦半島周回鉄道の申請をしてからあとに、ほぼ同様の申請をした団体もありました。
以上は国立公文書館の資料からわかることです。
「横須賀軌道」も路線バスとほぼ同様の路線のため却下となりました。
その路線を追ってみましょう。
これは文化会館の下のあたりでしょうか?
写真撮っている私が覚えていない。
この辺りはずーっと商店街です。
道は真っ直ぐ行くとカクッと曲がる感じ。いかにも設計しましたという感じです。
横須賀軌道の路線図も同じようになってます。
ここは、通りがかりのパン屋さん。「みのりや」
ここのハンバーガーはおいしいです。今も作っているのでしょうか?
私は、クリームパンも好きです。コッペパンも懐かしの味です。
もう少し行くと細い道があります。旧道でしょうか?
聖徳寺坂との交差点。
戦後の市電案では聖徳寺坂を上って衣笠駅前を通り追浜のほうに行く循環路線が提案されています。
聖徳寺坂もなかなかですが、衣笠を抜けて、どの坂を下りたら安全に追浜に行けるのか?私にはわかりません。
この辺りはずっと平坦です。鉄道は走りやすいと思います。
ここが不入斗のあたり。ここまで、大した交差点もなく一本道です。
ここで、いくつかの道が入り組みます。
不入斗公園は昔、陸軍の練兵場だったそうです。
横須賀軌道は軍事施設を縫うように計画されていたことがわかります。
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