イヨ、サラバ

一日一生〜胃なし生活の記録〜

経験して初めてわかること

2016年07月21日 | 術後7年~

今週も小学校のプール監視ボランティアに行ってきた。
今日が今年最後のプール授業なので、後半はチーム毎に計測。

私のそばで練習していた初級チームの子どもたちは
それぞれのレベルに合わせて
ビート板25mやピート板なしでバタ足など、全員が目標を達成。
苦手ながらも、昨年よりステップアップしてみんな嬉しそう。
見ている私も嬉しくなった。

‘ぼんこ’はというと
ターンが上手くできないとウジウジしていたにもかかわらず
みんなが50m泳いでいるのに感化されたのか
なんなくターンして50m完泳。
それも平泳ぎ。
「最後に隣のクロールの男子抜いたんだよ」と得意気。
そりゃあスイミングで鍛えてきたんだから
習ってない子のクロールと同じくらいのスピードは出るだろう。
どうせならクロールで挑戦すればよかったのにと思うが
本人は平泳ぎで勝てたことが嬉しいようだから
それはそれで自信に繋がればいいか。
頑張ったご褒美に、ねるねるのフルーツパフェ味をプレゼント。

一方、ここ数日あまり会話をしていない‘ちょん’。
その間色々考えることがあったけれど
今日の‘ぼんこ’たちを見ていたら、気持ちがほどけて力が抜けた。
もう私があれこれ口を出したり、手を出したりしなくても
この子たちは自分で何とかやっていけるし
やらせる時が来たんだ。
何でも知っていなくても、信じて見守っていれば大丈夫なんだと。
そうやって心にゆとりができると、考え方も変わってくる。
何事も自分で経験してみないと分からない。
経験して初めて、同じ立場の人の本当の気持ちがわかる。

偶然にも今日目にしたブログに書いてあったこと。
その方が見た記事の又聞き(又読み)ながら私なりの解釈で言うと
人は未経験のことは理解できず、自分の知る範囲の意見しか言えない。
理解ができないから受け入れることもできず
否定や「自分だったら」という道徳的アドバイスをしてしまう。
もしくは
「だったらもう諦めるしかない」というところに収めようとする。
理解してもらいたいという希望は、わがままとみなされる。

相手の立場に立って考えることは、実はとても難しい。
自分が相手の立場に立たされたら、と考えるのではない。
自分が相手と同じような考え方・感じ方をする人間だったら
同じ立場に立たされたときにどう思うかということ。
自分の心とは違う、別の心になって感じなければならない。
そんな風に考えてみようとすると
所詮、偉ぶった意見などは何の解決にもならず
結局のところ、ただ心に寄り添うことが一番で
それこそが一番難しい。

そんな時は雨ニモマケズ。
サウイフモノニ ワタシハ ナリタイ。
自分のありたい姿を考える。

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