最近、ブログに「長年、ありがとう」を投稿しました。今回は、その続き「苦しみ↔落ち着きに複雑な想い」です。いつもよりも長い投稿ですが、もし良ければ、お付き合いいただけませんか。
まず、下が前回の投稿です。
上の流れは、下がきっかけになっています。
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これまで、日に日に身体機能が低下する様子を見てきましたが、一昨日(2022.11.24.(木曜))、お世話になっている医療機関から、次の案内を受け取りました。
「お別れの日に向けて
〜やすらかな看取りのために〜」
お別れが近づきつつあります。
時々苦しみ、意識が遠のくことが増えてきました。この様子を見ると、不謹慎ですが、もうそろそろ楽になったら、と思う場面があります。
しかし!
体調には波があり、反対に意識がメチャクチャしっかりするタイミングもチョコット増えてきました。
その様子を見ると、まだ行かないで、と思います。
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ところで、昨夜(2022.11.25.)、私の家族3人で父に会いました。
私の頼みで、娘は、今春から始めた楽器、フルートを父(娘から見るとおじいちゃん)の近くで数曲吹きました。
父は目を閉じたまま、聴いていました。表情に変化はありませんでした。
父に「良かった?」と聞いたら、いつものように、ゆっくりと、うん、と頷いてくれました。
昔、父は楽器、尺八をやっていたので、「今の音(フルート)、尺八と同じやろ?」と引っ掛け的に聞いてみたら、「違う」という意味合いで首をしっかりと左右に振りました。動作、話は不自由になりましたが、聞こえる話、音は、きちんと届いています。行きつ戻りつの生命力を、目の当たりにしています。父はいろいろなやり取りを、頷き/首振りで、周囲に示してくれます。
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先ほど(2022.11.26. 10時過ぎ)、訪問看護を対応いただきました。
その時間帯、身内の在宅は私一人であったため、これまでの各種処置の対応方法を、見様見真似式で対応しました。
処置のあと、牛乳をストローで飲みたい、と、ビックリ発言がありました。種々を考え、冷たい牛乳をスプーンで数匙、口にしてもらいました。うまかったようです。
末期の父の満足な表情を見ると、それは訪問看護のスタッフの皆様のおかげで、とても感謝しています。自宅での終末期対応は、家族の負担がありますが、最期を自宅で過ごし、口にしたいものを口にし、家族などがすぐ近くにいる、ということは、恵まれたひとときのように思います。
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さて…
近頃、父の介護の時間の合間に、妹と、妹の社会活動や私のちょっとした経験などをしばしば話しています。
Par exemple :
(学校)教育全般
食の安全(の必要性)
オーガニック農業(の必要性)
食のあり方(米↔パン(小麦))
政治(市民の関わり方) などなど
ここ数年前から最近まで社会活動の方向性の違いを強く感じた時がありました。
そして、金銭面で大丈夫だろうか、と、父と心配してきました。
こういう違いがありましたが、社会全体の中でいろいろ考えてみますと、これまで手段&方向性は違うと思ってきたところが、実は向かう本質は同じところだろうということが最近見えてきました。
妹の活動には賛同者が集い、広がっているようです。
一方、私はスポット的に動きを起こすことはあっても、大体は主流派から離れた一匹狼を好み、そうした単独アクションを起こすことが多いため、あまり効果的ではないと自覚しています。これまでアクションの刺激から、変に絡まれ、責られることも時々ありました。
(例えば)
反対に、攻めていったこともしばしばありました。久しいこの流れは良くないと思うようになり、一部のTwitter、Facebook、Instagram、そして最近はブログもフォローを見直し、最近は政治や教育に表向きは深追いせず、運動や音楽を主にしています。
こういう中、何となく、私の経験が妹の社会活動に役立つ部分があるだろうと思いますので、何か役立つことがあれば良いと考えています。
自己満足かもしれませんが、
①周囲へのアピール(役立っているのは、ブログ、Twitter、Facebook、Instagram、集いなど)
②行政などへの問題提起(ズバリを突くと、先方は何か反応があります、好意的に落としどころを見極めてやり取りすると、良いところで収まることが結構あります)など…
今後の妹の社会活動はいろいろあると思いますが、勝手ながら私がアレンジしたInstagram投稿はこちら。
フランス映画「美しきみどりの星」を、妹が関わっている事業所「森の学校 ライオンの隠れ家」さんが、12月4日(日曜)、5日(月曜)に予定しているとのことです。フランス映画ということもあり、こちらの映画を見に行けたら、と話しています。
こういう大事なことを、いま静かに休んでいる父が気付かせてくれ、繋げてくれたと思います。父に感謝です。そういうと、ゆっくり休んでいる父が「そうやろぅ、あっちに行く前に繋いだぞ」と心の中で喜んでいるかもしれません。
幼い頃にお母さん(私の祖母)を亡くして甘えることを知らず、戦後、苦しく辛い日々を突き抜け、昭和(〜平成)の時代を一匹狼的に50年ほど「太陽」の屋号で、恐らく先行逃げ切り的に駆け抜け、いわゆる核家族で母と私と妹を養い、しかし「競輪予想業」(いわゆる「予想屋」)で社会の中で軽く見られる寂しさ悔しさもあり、引退後はノンビリ老後生活を送ってきましたが、母を終末期介護で頑張って対応した後の3年半は独居で寂しさもありながら日々暮らしてきた父。
今、競輪でいう周回ゴング?が鳴り、(人生の)ゴールに、まさに入ろうとしています。
最後(最期)の残された時間、ソレイユ(フランス語でsoleil、太陽の意)のように、献身の訪問看護スタッフの皆様に感謝しながら、父や家族であたたかいひとときを過ごしたいです。
以上、このブログにお付き合い下さり、ありがとうございました。