○麦秋至(むぎのときいたる)=麦が熟して畑が黄金色になる。
大坂城、豊臣氏が滅亡=元和元年(1615)旧暦5月8日がその日です。前年、慶長19年(1614)12月の大坂冬の陣で和議が成立して、徳川家康は大坂城※の外堀を埋め立てることに成功した。その上で、家康は豊臣方を挑発して、再度の戦へと追い込んだ。これが、慶長20年4月29日hに始まった大坂夏の陣です。
大砲を使った周到で執拗な徳川方の攻撃に、豊臣方の敗色はしだいに濃厚となった。開戦から10日目の5月8日、天下の要塞といわれた大坂城もついに落城。豊臣秀頼とその母・淀君は自ら命を絶ち、豊臣方は滅亡した。
この年の7月に改元があり、慶長20年は元和元年となった。もはや徳川家に弓を引く者はいなくなった。そこで、この年を「元和偃武(げんなえんぶ)」と称する。偃武とは、武器を伏せおさめるという意味です。徳川家康がこの世を去ったのは、翌元和2年4月17日のことです。