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静御前(源義経の愛人)は今とは違う素晴らしい白拍子だった

2015年11月02日 | 黒い心理術!羨ましい 運のある人 名馬に癖あり 駄馬に糞(屎)蟻 

「静御前」とは源義経の愛人である。
義経は、平治の乱で平清盛に敗れ斃死した源義朝の遺児だ。
兄の頼朝とともに、平氏に捕獲されたが、清盛の継母の池禅尼(いけのぜんに)の懇願により殺されなかった。
頼朝は、伊豆に幽閉され、義経は鞍馬に預けれれた。

静御前はその義経とともに逃げて大和吉野で頼朝に捕獲され鎌倉に贈られた白拍子だ。
義経は奥羽で殺害され、頼朝(愛人の敵)の前で見世物にされ殺される運命だったが、頼朝の妻・北条政子に命を救われ京に送られた。

この静御前の仕事が「白拍子」で、「白拍子」とは男舞を舞う芸能人で遊女と呼ばれた。
なんと年収は1億円以上あったといわれる教養人だ。
この時代の遊女は体を売るのが仕事ではなかった。高級な芸能人だった。

やがて、遊女は芸者となり、そのうちに芸を売らずに体を売るように変なものも出てきた。
そんな芸者は「枕芸者」と呼ばれた。
安物(芸のない)の遊女は、夜鷹と呼ばれて川べりの柳の下で幽霊のように「男狩り」をするようになる。夜鷹の必需品は「むしろ」であった。

江戸時代、芸者のトップは、「花魁(おいらん)」と呼ばれる高給遊女は♂にとって夢の存在だった。
心中も流行りだした時期もあった。相手は吉原などの「芸者(遊女)」であったようだ。
男芸者は俳優と呼ばれ、「太鼓持ち」などをやっていた。もちろん、歌舞伎などをやる役者もあった。

江戸、明治などの芸者は庶民(一般人」と違い、「教養」もあり多くの政治家や文化人・貴族のあこがれであった。もちろん「芸者まがい」もあったが、大正、昭和となると「まがい物」に天下を取られるようになってきた。
平成になると一般人と呼ばれる「未成年者」がそれに取って代わってしまった。それを援助している商売が「出会い系」「Line」となどという架空店屋だ。
昭和時代までは、女が体を売る「売春」という職業?があった。外国から「ジャパゆきさん」という出稼ぎ女が爆増した。また、「買春旅行」も大流行で「パンスト」や「鍋・釜」を引きずりながら外国に出かける姿が当たり前の時代もあった。
しかし、平成時代になると、男が女を買う「買春」という逆商売(金を払う)や、「援助交際」などという未成年女の生活支援をするやさしい福祉♂も現れだした。

でも、この優しい♂も評価はされずつらい思いをしているようだ。それもそのはずで「困っていない未成年女」の「遊ぶ金」を援助していることが多くて「だらしない未成年」を粗造する温床となっているからだ。
昔は泣く泣く子どもに売春させたが、平成時代は、親が進んで「売春」をさすものも増えてきたようだ。
一体、いつまでこんな素晴らしい平成無責任時代は続くのだろう。


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