当選するためには何でもするし、なんでも言う。
まず、当選することが先(目的)だ。
凄い男だなあと感心する。
愚生など臆病者だから批判に耐えられないからアカンだろうなあ。
人間は自分を中心にしてものを考える。また行動もする。
歴史上では豊臣秀吉に勝るものはいないだろう。晩年は暮怪が入り、石田三成にそそのかされたこともあるが、まさに「我欲」の人だろう。
千利休(弟子も含めて)を切腹させたり、自分に子供ができると、養子を養子に出したり、さらには秀次(関白)には難癖を付け切腹させ、その妻子を皆殺しする始末だ。
また、秀吉は部類の♀好きだったが、子どもには恵まれなかった。正室はねね(北政所)で一回りも下だったのに子どもはできなかった。長浜時代に側室が1人産んだがすぐ死んだという噂もある。側室はクソほど居たが、茶々(淀)にだけ2人できたがこれも1人目は死に、2人目が秀頼だ。
この秀頼が、体躯も大きくでっぷり超えていて秀吉には似ても似つかぬことと、茶々の部類の男好きから父親説にはいろんな説がある。
石田三成、大野治長、徳川家康、肥屋などなどだ。
秀頼曰く、「母親は分かるが父親は確かめようがない」。
しかし、この時の五奉行の筆頭が、浅野長政(甲斐甲府22万石)だ。和歌山初代藩主・浅野幸長(よしなが)の父だ。