今日、ご先祖様の墓参りに行ってきた。朝、霜で車のフロントガラスは凍っていた。6時30分の出発だった。
船津を過ぎたあたりから奥行きの車は2台しかなかった。中津の株井峠の凍結を心配していたんだが、順調で問題はなかった。三十木,平岩,下越方で愚生は橋を渡る。後ろの車は川原河へ向かったのでそこからは愚生だけになった。
そこら辺は、真っ白で寒そうだった。
滝頭峠で車を止め、リュックサックを背負い、手袋をし、墓まで歩くんだ。霜の道を滑らないようにゆっくりゆっくり歩いた。下の滝頭には誰も見えなかった。10分足らずで、墓に着いた。
コップの水と花瓶の水を替え、線香とお酒とお米を供えてお参りした。
この石塔は、先祖代々の墓だけれど、隣の戦死したおじさんの石塔もある。どちらもきれいにしお参りを済ませた。
この墓地は、愚生の親類の墓が5軒と神主さんのところの墓がある。母屋の墓もあったんだけど引っ越したようだ。
墓のすぐ上に、氏神様がある。中学校を卒業して1度も行ったことはなかったんだが、墓から山の中を登って、お参りに寄った。
実に55年ぶりだ。本殿?などなくなる小さな祠が4つ並んでいた。それぞれにお参りをした。お参りする人があるようで、祠付近はきれいに掃除されていて、さい銭も供えられていた。広場は非常に小さく感じた。昔は餅撒きもあったんだが・・・・。
綺麗に掃除されている参道を下りて、もとのいった道に戻った。道といって幅50cmないような地道だ。
そこから下の風景(滝頭)は真っ白だ。雪ではなく霜だ。
下の写真の陰の下は日高川、手前の壊れた屋根の家の左が私の生家だが、本屋はなく、屋根が落ちた隠居だけが残っている。柿の木はまだがんばっているので、妹が毎年取ってきてくれる。
最後の写真の向こうに見えるのは、矢筈岳(やはずだけ)だ。子どものころには毎日見ていた。山の向こうには入道雲、綺麗な虹がいつも見えたんだなあ。
帰りに、三十木橋を渡り、川中経由で帰ろうとしたんだね。橋を渡ると子十浦小学校があるんだが、たぶんもう廃校なんだろうね。そこを少し過ぎると通行止めになっていた。戻って、日高川の対岸を走ることにした。なんか、温泉のにおいがしてきたんだ。もう鳴滝温泉の近くなのか。やがて左側に大きな工場のようなものが見えてきた。鶏舎?これは牛舎なんだ。あの安愚楽牧場じゃないのかあ。
平成23年の台風12号で、牛が流され日高川口まで流れ着いたというところじゃないのかなあ。
そこからが大変、道は良いのだが遠い、遠い・・・久しぶりの川中回りだが凄い。佐井に来たときはほっとしたんだ。この橋のたもとの温泉施設はもうないのだろうか。やがて、鳴滝温泉、高津尾に着いたが、やっぱり遠いねえ。途中、中津中学校というのがあったがそれはやっているのだろう。旧中津村には、小学校が、子十浦、川中、大星、高津尾???、中学校川中、船津・・・もっとあったのだろう。