第69代横綱白鳳翔関の話。
2000年10月、6人のモンゴル人と共に来日し、大阪府内の摂津倉庫というところで相撲を習っていたが、細身の彼に入門の話はなかなか来ず、もうモンゴルに帰って、父親がオリンピックレスリングの銀メダリストだったこともあり、故郷でオリンピック選手になろうと決意した前日に、宮城野部屋から誘いがあり、入門できたという。入門したものの、なかなか上がれず、苦労したそうだ。特に日本語がわからず、苦しんだとか。
だが、先輩からもらった夏川りみのCD「涙そうそう」を覚えて、漢字の読み方や言葉を覚えることで、徐々に位もあがり、給料も上がっていったそうだ。
「日本語が上手になるにつれて、位もあがっていった」という彼の言葉は、日本で頑張る外国人だけでなく異国で精一杯努力を続ける人たちにとって、励ましになることばだ。
イタリアやドイツで頑張るサッカー選手、アメリカで奮闘する野球選手、バスケットボール選手たちにも言えることだ。
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