MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



産まれてから3、4年居たのは名古屋の中村区。

 

中村公園と言えば、太閤秀吉が産まれたところ。地名としても、秀吉縁りのものばかり。通っていたのは豊臣幼稚園と言う名前だったし、残っていたら千成小学校か、日吉小学校でしたからね。太閤さんとか言って大阪人が崇めてたりしますが、言ってしまえば、秀吉は大阪にら縁もゆかりも無い人ですわね。さりとて、大阪人程、秀吉に思いがあるかと言えば、名古屋祭りで三英傑って名古屋近辺よね、と認識する程度ではないかな、と。まぁ、歴史上の人物なんて段々そうなるんですよね、きっと?!

 

おいらにとっては、秀吉の世界観とは、関係なく名古屋への望郷の念は年々増してる気がします。

 

なんでしょうね?16歳の高校1年生まで過ごしただけと言えばそれまでですが、過ぎ去りし日々を思い返すと、全ては名古屋にあり、とでも言いたくなるくらい、名古屋には思い出や人としての基礎作りが成された場所としての思いが強くなるのですなぁ。実際には名古屋在住は名東区の方が遥かに長く、10数年名東区極楽の地で過ごしました。まさに昨日の同窓会はその名東区にある高針台中学の同級生との集まりでした。

 

いずれにしても名古屋は我が生まれ故郷。

 

名古屋を離れた事のある人にしかこの心境にはならないと思われます。特にご飯、名古屋飯が自分の中に深く染み付いていて、これなくして自分は語れませんからね。

 

ホテルの部屋から、恐らくあの辺が産まれた家🏠かな?と思い懐かしむ。



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