随分前にMixi上で自分の高校のコミュを作ったのだが、その繋がりで高校の同級生と繋がった。
数えてみれば高校を卒業してから18年が経っている。この間、東京の高校で過ごした2年間の友達とは誰とも繋がっていなかった。正直在学当時は自分が苦労して入学した名古屋の高校との学力差に愕然としていたりした。名古屋の高校の入学当初に終えていた数学の内容が、一年経ってまた同じことを履修したり。満ち足りていない自分に甘えなどがあり、そのことに気付いていた自分に更にまたイラついていた。また、何故転校しなくてはならなかったのか、そのことで色々と恨んだりもした。高校時代にしかない高校サッカーを取り上げられ、その気分で一生を過ごすのか、と思ったり。。。思い出的なものは何も自分には残らないんだなぁ、と。東京に来た意味など何も見出せないまま、あれだけ頑張って入った名古屋の高校とは違うと言うことだけを考えて無駄な時間を過ごしたんだと思う。当然の如く浪人をした。これもまた自分が背負わされた艱難辛苦だ、と思ったり。自分の人生を見つめ直し、浪人時代を失われた高校2年分だ、などと考えて浪人していた。変に自信だけはあったので、現役の時は普通に東大の文一を受けて落ちたり。。。勿論1年間で浪人は終わらせる予定だったのだが2年浪人した。明治の文豪などは旧制高校に入る前後くらいからの繋がりで自分を研鑽し、更に帝大に入ってまた磨くと言うようなことを小説などから知っていたが、浪人時代に勉強会を発足させたりし、そのことで自分のカタルシスを得ようとしていた。そんなこともあり、浪人1年目、2年目の友達との方がむしろ繋がっていて未だに大阪に出張に行ったときなどご飯を食べたりするし、次々と結婚式に呼ばれたり。それなのに高校の時の友達は見事な迄に繋がりがなかった。1浪の時には高校時代の友達と同じ予備校に行ったりしたのだが、これまた残念ながらどこの大学に進学したのかすら知らないままその後音信不通だった。。。
今更ながらSNSやネットの凄さを賞賛するのは嫌なのだが、やはりこのメディアのユーティリティは使い方によっては“便利”なものになると言うことだ。
今回、同じクラスの同級生に会った。ラグビー部にいた男だ。正直当時はそれ程特別仲が良かった訳ではない。ただし時間が経てば、ただ同じクラスにいたと言う繋がりだけで、充分だ。このネットを通じた邂逅は偶然なのか。必然なのか。正直それは分からない。18歳を境にそれまでの人生とほぼ同じ人生の長さを歩み、色々と遠回りしたり、足踏したり、駆け足で過ごしたり。たった3時間半程の会話で足りるわけもないが、お互いのその後の人生などを語り合ったのは非常に楽しいひと時であった。
彼は今溜池山王のオーストリア料理屋で働いている。しかし、そこは最近見つけ出した夢のためのステップのようだ。趣味のダイビングの行き先の石垣島で宿を経営すること、と言うゴールを見出したと語ってくれた。小さくても大きくてもどんな形でも夢が見つけ出せたことは素晴らしいことだと思う。彼曰くどうやら実現したい夢は料理と言う世界ではないが、それから先のことは一緒に追い掛けられる人と実現していくのだそうだ。おいらもまだまだ道半ばだが、36歳にして少なくとも学生自分に考えた夢へは少しずつではあるが近付けているのかな、と彼との話で自分を省みることができた。
良い再会だった。
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色々とその彼を通じて交流できそうだよ。