MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



広島に出張が多かったのは、2007年の夏頃だった。

その時は、あとから分かったことだが、出張旅費などを経費精算で懲戒解雇になるような人たちばかりに囲まれて、正直、欝気味になるようなPJで広島に行っていて、全然余裕なく3ヶ月以上を現地で過ごしたのであった。その後、2008年に独立してから2年くらい経った時だったか、広島市民球場が建て壊しになる時に記念のグッズを広島カープと掛け合って制作すると言うことで、月に2-3回広島に行くと言うことをしていた。これが半年くらいだったかなぁ。結局、このクライアントは潰れたのか、行方知らずになり、人生で初めてPJフィーを取りっばぐれると言う痛い目に遭ったのであった。

而して、広島は鬼門に非ず。

その後2012年、2013年くらいに、広島経済大学に赴任された、元浦和レッズ社長のFさんや、当時はまだ同大学にいらした教授などを訪問し、個別の出張講義をさせてもらったりしていて、度々広島を訪れていた。これは2016年まで続けていたんだよね。とても良い機会で、学生さんたちに話をすることは、即ち此方にも勉強となる機会であった。そしてその最後の広島訪問が2016年4月。広島経済大学に行った帰りに、可部線を途中、横川駅で降りて、そこから歩いて行った。

それが、らぁめん紺屋

ICUサッカー部の先輩が営まれていて、広島では結構有名だと思われる。実際、行くと、ほぼ必ず待つ必要がある。開店と同時に並んでいる人が店内に案内され、それでも第一陣で入れないお客さんが居たくらい。それ程、美味しくて、皆に知られているんだろう。


個人的には、初めてらぁめん紺屋に行ったのは、2010年5月1日。


もう10年以上前のことになる。Blogに書き残してあるから便利だよw。毎度、必ず書いているからね。それ以来、広島に行くと必ずと言って良いほどの確率、回数で通っています。もう、美味しくて仕方ない。東京ではあんなに美味しいラーメン屋、無いんだよね。仮に、東京にあったとしたら先ず間違いなく通う。月に2-3回は行きたい。何故なら、醤油、塩、担々麺と何種類もあるが、これは通わないと違う味を食べられないからである。美味しすぎて、毎度必ず醤油ラーメンを食べてしまうんだよね。だから、勇気を出して?違うラーメンをと思っても、どうしても醤油ラーメンになる。どうしても至高の味を知ってしまい、冒険ができないと言う…。しかし、仮に東京にあれば、今日は塩、次は担々麺、またその次は新開発されたもの、、、とローテーションできるのになぁ、と常々思う。

最後に行ってから早5年。

月日が経つのは早いものであるが、そのらぁめん紺屋のオンラインショップができた。なので、早速お取り寄せをした訳です。通常営業の傍ら、店主のKさんがオンラインショップ用の在庫を作られているのであろう。無化調で、素材に拘っていらっしゃるから、工場生産など多分されないんじゃないかと思われる。仮に工場生産ラインに乗せたとしても、相当厳しく品質管理をされて、お店と同じものを、とされる筈である。おいらの知っているKさんとはそう云うところに妥協はない。だから、オンラインショップで頼んでも、作り方さえ間違えなければ、目を瞑れば、紫色のバンダナを巻いたKさんがカウンター越しに話をされてくる風景が浮かんできそうなものだ。在庫の数が限られていたので、泣く泣く、2パックのみを発注させていただいた。それ以上だと冷凍庫にも入らないし、おいらのような食べたくて仕方ない人の機会を奪ってしまいかねないし。

明日以降、どこかのタイミングで堪能したい。



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