MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



今回のHong Kong旅行の前、円安の現在では海外で買い物を楽しむことはないな、と思いながら旅を始めた。

初日に多少勘違いしたのもあるのだが、1Hong Kong$が16円ともなると、ほぼ日本と変わらないのが実情。我々の旅行は必ずスーパーで調味料などを調達するのだが、宿泊した、マルコポーロホテルがあるHarbour cityの中の高級スーパーのみならず、街中のローカル系のスーパーでさえも品揃えは本当に日本製の食材が多く、日本から輸入しているからそれなりにコストも掛かるだろうが、ほぼ価格も変わらない。スーパーの中では日本製の食材が当たり前のように買えるので、スーパーにいると日本にいるかのような錯覚に陥る。以前からそう言う傾向にあったが、野菜等と言った生鮮食品ですら日本産が多くなっていた。恐らく、中国製の回避が目的なのではないだろうか。安全、安心の日本の食材を求めるレイヤーが多いと言う事なのではないかと推測する。

一方で、そのようなスーパーに行くことは皆無なレイヤーが居ることも事実。



既報だが、このようなローカル系のmarketはあちらこちらにある。昔ながらのドギツイピンク色した豚肉とか、蝿が集っているような野菜とか、普通に何処ででも売っている。全てが高級化した訳ではない。飽く迄もローカル系が当たり前の暮らしも厳然と残存する。これが、人里離れた場所ではなく、チムシャーツイの隣の佐敦の駅前がそうなっている。超高層ビルのすぐ裏手にお世辞にも綺麗とは言えない暮らしがある。ある意味Bangkokや、Kuala Lumpurのような様相であった。Bangkokが一番雰囲気近いかな。


20年くらい前に初めてHong Kongに来た時は今よりももっとローカル色が強かったが、今ではかなり変わったと思う。昔はとてもではないが臭くて歩けないareaが街中にあったが、今はそこまでではないと思う。たまに駅ナカでドリアンの匂いが充満していることがあり、びっくりするけど不衛生さはなくなったかなぁ。変わるところあるが、変わらないところも魅力の一つ。

発展すればそれで良いとは思えないのは、Hong Kongの良さがなくなると思うから。

ショッピングモールにはGucciやヴィトン等の高級ブランドが立ち並ぶ一方で、1つ200円もしないパンツがハンガーから吊り下げられて売られていたり。。この混沌とした風景がなんとなくHong Kongの好きなところなのかなぁ。一杯300円くらいの街中のローカル系お粥は全然美味しいし、2人で一万円近くする中華料理屋さんは当然美味しかったりするし。ある意味一万円出してもほぼマズイLondonより食の文化は遥かに高い事は間違いない。

変わるなと言われても、自分たちの暮らしを必死に上げようとする努力を止める権利は誰にもないし、他人が変わっていくべきでは?と思うところが頑なに変わらないところがあるようにも見える。それぞれの暮らしの中に『それで良いんだ』と言う様々な規範が多様化しており、またそれが相互干渉せずに並存しているところが良いなぁと思った。Hong Kongは相当ガチャガチャしていて、ある意味活気がとてもあるけど、静謐な暮らしがすぐ隣に行けばあるのがとても個人的には魅力的。ある意味、Hong Kongの何処かで自分だけの時間が保てる場所を見つけれればこれ程楽しい場所はないんではないかと思う。騙し、騙されつつそれを受容できる人にとってはね。ここに一物一価の法則はなく、自分のcommunicationでなんとでもなる当たりがまたスリリング。

いつ行ってもHong Kongは楽しい。



と言う事を思いながら空港を後に出来る都市はなかなかないような気がする。



Harrodsのクマちゃんが見送りの際にまた来てね、と言っていた。



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