MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



余りに衝撃的過ぎて殆どnewsを殆ど覚えていないくらいあの日は。。。

まだまだフジテレビがF1グランプリを全て録画中継する時代で、T- squareのお馴染みの曲が流れると必然的にF1だ、と誰もが分かる、そんな時代。何故か、アランプロストは日本人のみならずセナのライバルと言うか対抗馬と言うか好敵手と言うか、なんにせよ対比されて、ともすると悪いイメージで見られていた。実際のところはセナの走行スタイルは決して褒められたものではなく、2年連続で日本GPでプロストにぶつけたのは故意だったと本人が認めていたが、その前年に当てられた報復措置でもあったのだから。

一年越しでプロスト憎しと故意のクラッシュとか、日本GPを楽しみにしていた日本のファンを蔑ろにしているのに、日本では絶大な人気があったよね。

毎年、年初にF1中継が決まると全て手帳に日程を書き込み、たまに予選の風景だけが土曜の夜中に流れたり。パドックの緊迫した風景を『川井ちゃん』とフジテレビの三宅アナや古舘が呼び、それを見るのが楽しかったり。川井ちゃんがあのクソ下手くそな英語でやって行けるんだね、とICUに入ったばかりで比較的英語で苦しんでいた時に救われた気がした。森脇レーシングの森脇さんの理知的な解説が好きだったな。あと、誰だか名前が出てこないけど、メガネかけた太ったおっさんの解説もいて、アイルトンを『エイルトン』とか、1人勝手に英語読みして顰蹙買ったりさ(笑)。ミハエルシューマッハを『マイケル』って呼ぶのがホント嫌でさ。。ゲルハルトベルガーとかも、『ガーハートバーガー』とか普通に言っていたしね。。

間違いなく1994年5月1日は晴れていた。

ICU迄はその頃チャリ通学をしており、チャリで帰宅して夜中に中継見て、映像が空撮に切り替わったりしてね。速報news的にボローニャに運ばれたセナが死亡って。。。。テレビ見ていて、タマゲタどころではなく驚いた。いやもう驚いたどころではなく、悲しみが溢れてきた。そして多分そこで悲しむのを止めると共に余り記憶がなく。。。

話は変わり、新婚旅行ではモナコGPのコースをレンタカー借りて走ったが、そのモナコで買ったのがこの最後に乗っていたウィリアムズのFW16。マクラーレンのイメージが強すぎて移籍した翌年に死んでしまったから、このカラーリングだとナイジェルマンセルのイメージの方が強いな。



で、もう1つこれはマクラーレン時代のレプリカメット。



その頃、親父のオフィスのあった渋谷の246を六本木方面に上がったビルの地下にF1ショップがあってさ。そのF1ショップには、本物と同じカラーリングのメットがあってね。初めて高校の時にその店でセナモデルを見たときはそのメットを被りたくてバイクに乗ろうかと思ったくらい。当時、セナモデルのメットは30,000円くらいしてさ。とても手が出ない値段だったのを覚えている。

ひょっとしたらもうセナの事を覚えている人は30代後半か40歳以上だけで、今の若い子たちはF1どころか車にすら興味ないから、忘れられているのではなく知られていない可能性はあるよね。でも、おいらの中では古舘が勝手に名付けたニックネームを含めて一生忘れない。

今日で20年が経つなんてね。もうとっくにあなたの年齢超えていますけど、永遠にアイドルです。

音速の貴公子、安らかに。


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