前回9月のICUの同窓会理事・評議委員会に行った時に建築家の隈研吾氏がプレゼンをしにきた。
同窓会にプレゼンをするということの意味は正直よく分からなかったんだよなぁ。あの場所は同窓会が行う年2回の評議委員会であり、その評議委員に対して新たな情報を知らしめると言う場所としては多分不適当であったと思うので。まぁ、最近は同窓会とも関わりも薄いし、来期以降は幸いなことに延長もないし、今後は基本的に同窓会とは関わらないことになるので良かったのであるけどね。
それはさておき、 キャンパスグランドデザインと言うものが出されてから、Change.orgと言うサイトでバカ山を無くすな、と言う署名運動がされていたので同調した。
本来、この手の、民意を総和として届けよう、と言う活動には全く興味がない。やりたければどうぞと言うスタンスで、否定する気持ちは欠片もないのだが、どうにも手法的にスマートに思えず。。。確かに、前に一度国立競技場の建て替えの際に一度白紙撤回を、と言うような時には同調したが、その後ずっとそのChange.orgからメールが来るものだから、興味もない事柄に付いても同調せよと言うようなスタンスに辟易とし、即座に迷惑メール設定をして目に触れないようにしていた。なんでもかんでも自分たちのプラットフォーム上で展開されるこの手の話で、全部のネタに興味がある訳がない。自分の生活に関係のない話にまで同調せよ、なんて言うのはほぼブラインドで街角署名をしてください、と言うのと同じで全く信憑性がないし、民意の創意です、と言われても小学生が「皆、◯◯を持っているんだから買ってよ、お母さん!」と泣き叫ぶのと変わらないとしか思えないのである。誰が皆に入っているんだ?と。クラスの3-4人が持っているだけで「皆」と言ってしまう稚拙さとあまり変わりがないのではないかと思っている人が恐らく大半の中、こう言うプラットフォームで提起され、と言うか換言すれば槍玉に挙げられても、彼らも真面目に取り上げることはまずないと思われる。
SNSの悪い使われ方に見える。
民主主義を否定するつもりなど毛頭ないが、所詮、パワーバランスの元に諸々制約されたり、100%関わる人にとって満足の行く答えなどこの手の話題の場合には絶対に起こらないのに、抑圧された側がたまたま大きな声を出せる人を抱えると盲目的に反対、反対と叫ぶのは見ていて恥ずかしくなる。
今回に関して言えば、確かにICU生にとってバカ山はとても重要な場所であるし、色々な思い出もある。だからと言って、もう学生でもないし、日常生活に関係などないよ、と言う人も中にはいると思う。それでも今回は自分にとっても、また将来のICU生にとってもあのバカ山と言う場所はICU生のIdentityとしてもとても重要だし、ディベートやディスカッションをする「場」としてあのこんもりとした芝生の山は非常に重要なものであると信じていたので、Change.orgの中で繰り広げられる議論に同調した。ICU生たるもの、他人とのコミュニケーションをする上で、建設的に、若しくは生産的に会話を成立させ、なんだったらInitiativeを取って話を進められるようでなければならないと思っている。尤も、自分の周りのICU生は結婚して仕事を辞めていたりするのだが、それでも尚、日常生活の中で起きる大小様々な事象について、ICU生ならではの解決方法をしっかりと導き出せることが、ICUのブランド価値を高めることとなるものと信じている。
ICUは東大や早稲田、慶応とは違う大学であることをきっちり示し続けていかなければ、吹いたら飛んでしまうような大学である。
社会の中で隠れキャラ的に扱われるのも正直癪に障るしw、もっとICUの卒業生として異論を受け入れ、様々な解決策を提起していく主体として皆がそれぞれ生きる場所で活躍出来ればと思うのだが、そのためにはあのバカ山は必要だと本気で信じている。数々の授業がバカ山で行われ、授業の準備のために分厚い英語の教科書をあそこで読み、時には授業のワークショップをあのバカ山でした。ただダベったりしたことも多々ある。そんな数々の人とのふれあい、話し合い、総じてコミュニケーションが行わる場所としてバカ山は位置付けられていると思う。
また、同級生や後輩とかにも多く居たが、自分が小さい時に親がICU生でこのバカ山の上で写真を撮られたことがあるんだ、と言う仲間がいた。
時に、そういったノスタルジーを感じられるような場所。自分に子供ができたらバカ山に連れて行き写真を撮り、仮にその子供が将来ICUに入って勉強することになった時に親がここで写真を撮ってくれたと言うような会話があるとしたらとても良いと思っている。うちの奥さんは慶応のSFCだが、SFC生にとって、鴨池が無くなると言うのが何気に大きな意味を持つのかな、と感じていたようである。ICU生ではない人にとってこの話はかなりどうでも良いのかも知れないが、人間誰しも原風景として、過去を遡った時に何かしら思い出したり、感じたい感覚が残っている場所はあるはずで、そこが無くなると言われた時に自分の身体の一部が欠損するかの如くの気持ちになることはあると思う。
バカ山とはICU生にとってそう言う場所なのだと思う。
結論としては無くならないと言うことでICU当局から話があったようでかなりホッとしている。願わくば、建築家にあそこは「コブ」ではなく「バカ山」と言う名前がついた場所であることを早々に伝えて欲しい。 バカ山はコブではない。バカ山である。ついでに言えば、花道を挟んで反対側はアホ山であるが、個人的にはその名前が出てもそこまでノスタルジーは感じない。何故だか分からないが。。。