MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



色々な業界の人と交わって居て飲みに行く事が多いが、最終的にワインか日本酒に行き着く人が多いような気がする。

酒そのものには罪は全くないが、酔いどれてしまう危険性があるのも酒。なのにワインや日本酒は何故か泥酔した理由を聞いてもそんなに該当する酒として出てこないような気がしないでもない。飲み潰れた理由等、統計がある訳でもないから単なる直感だが、酒類毎の消費量の統計はあるからやはり酔った理由、つまり何を飲んでいて酔ったか、で完全按分比例をするとビールが多いのかな、と。良し悪しではなくね。勿論チャンポンもあるから単一のお酒で酔うばかりではないし。

アルコール度数は明らかにワインがビールより高く約3倍くらいあるけれども、同じように酔う事はあるのか?

実際、飲んでいる時間が同じだとして、3倍では済まない程ビールは飲まれているような気がする。ビールはワインの3分の1のアルコール度数だから3倍の量を飲めば同じだけアルコール摂取はしておる筈。いや、しかし事実ビールは同じ時間飲んでいても3倍では済まなさそうだろうね。中ジョッキでざっくり500ccだとして既にワインボトルの3分の2。これを一気に飲み、ぷはーっとやる人もいる訳だが、ワインはそんなこと先ずしない。ビールは中ジョッキで3杯、4杯と飲みビアガーデンで気付けば7、8杯なんてこともあるでしょう。500ccで8杯なんて4リットルですからね。ワインボトルで5本以上。ビールはこれを短時間で飲むのだから明らかに飲み方が異なる。ワインボトルを1人5本以上なんてそもそもいない。日本人の年間平均消費量はワインボトルで約2.5本なのだから。一晩どころか年間でビール換算で中ジョッキ5杯しか飲まないのがワイン。

数字で見れば一目瞭然。

ワインで泥酔する人が少ないのはある意味当たり前か。フランス人なんかは桁が全然違う程ワインを飲むからワインで泥酔なんて人も多々あるのだろうけども。ヨーロッパでは、ビジネスの席でどのようなワインを嗜むのか、お互いに牽制と言うか、どれ程のワインを持ち寄るか、オーダーするのか、を見たりするのはやはりそれだけ格式があると見られているのかな、と。日本でもビール党と言われることはあっても、ワイン党と言われる事は余りなく、寧ろ『ワイン通』と評される事が多い。通と呼ばれるのはそこに畏敬の念があったり、よく知っているなぁと尊敬の念が入るからだ。

しかしこれは別にビールが格式が低いと言う話をしたいのではない。


酒そのものと言う意味での『コンテンツ』として酒が語られるばかりではなく、どのようなシーンでお酒が飲まれるか、と言うで『コンテクスト』が違うと言う話である。明らかにコンテクストが異なるのは明白だ。結婚式の主賓挨拶の時にやはりビールではなくワインの類であるスパークリングやシャンパン等の泡物が用いられるのはコンテクストで見るからだろう。


平たく言えばカッコイイ、と。


コンテクストそのものは言葉としての定義は可能でもその文脈と言うか、シーンと言う意味ではそれぞれの語られる意味合いが異なる。ビールの成分やアルコール度数と言う定義が必ず同じようになるコンテンツとしてのお酒の話とどのようなシーンか、と言うコンテクストの話は異なるのである。コンテンツではなく、コンテクストで語るお酒のワインをプロジェクトに出来ているのはストーリーマーケティングと言う意味でスポーツと共通する部分があるな、と。若しくは高級品のセールスストラテジーとも共通する。

俄然楽しくなってきた。


何が本業と言う事はないのだが、スポーツマーケティングに確実に役立ちそうだ。知識を結集して真摯に挑みたい。


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