MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



詳細どころか概要も書けないような話なんだが、ストレスマックスw。

それも一つではなくいくつか重なって。
まぁ、全くストレスのない生活なんてないんだが、それにしても、ね。

場面、場面によって、そこではしっかりしてくださいよー、と言うときももちろんあるんだが、人間、誰しも気分が乗らないとか、時間がなかったとか、なんらかの理由で結果的にミスったりすることってあるのかな、と思ってて。それは仕方ないことだと思ってます。それと、対比構造ではなく、掛け合わされた軸として、要は役職だったりなんらかのランクが上に位置づけられているのなら、それはそれで高いギャラもらってんだろうから、バリュー出せよって思うのよね。

だからって、Directorだからってミスすんな、とかまだアソシエイトレベルだからミスっても良いとかそういうことではなく、その時々にギアアップさせたままだったり、そこはシフトダウンでも良くないって言う場面があるのかな、と。


で、まぁ、、、

ずっとローギアのままってのはどうかと思うし、クライアント、ベンダーの関係性とか全く意識出来ないおバカな発言とかを連発されちゃうと、どういう社会人的育ちをしたんだろうって思ってしまうのよねぇ…。一流とか二流とかって分けることにどれだけの意味があるかは分からないけど、客観的に見て(見られないから分からないんだろうけど…)バリュー出てないことを意識出来ないって、最早三流以下で、可能な限り一緒に仕事したくないなぁって思う。はい、思いますわ。そういう人とはね。

会社員とかじゃないんで、人は選ぶ。

と言うことで選べる範囲、タイミングがあったので、選びました。こういうのってしんどいっすねぇ…。初期の選定の責任はあるんだが、採用する側とか、コラボする相手って、選ぶときは表層的なことを理解しているだけなんだなって改めて人探しの難しさを痛感しましたなぁ…。愚痴っているのとはちょっと違って、寧ろ、エージェントと話をしていたときに言ったんですが、完全なる「自己嫌悪」なんですよね。選んだの、お前だろ、と言うケースの失敗って、敢えて責任取る話になった場合には、帰結するところは自己嫌悪。。。それを感じない程?敢えて鈍感になるような感じだと、人間性、疑われそうだから。少なくとも、失敗したときには、反省をしないとだし、その前段階には自己嫌悪があるんだなぁと。これってずっと思い続けると物凄く不健全だけど、逆に一定程度の自己嫌悪感を感じるのは逆に健全なことなんじゃないかなと。

うん、一瞬だが沈んだ。
だが、盛り返す。
ずっと沈んだままだと鬱になっちゃう可能性だってあるし。

さて、切り替えよう。



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