MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



実に数年ぶりに会うNTT時代の同期。

 

40半ばになると、最早同期の中でも色々と状況が異なることに嫌でも気付かされる。そのまま会社に残っているのは何人なんだろう?24年近く前に同じタイミングで新卒入社した同期数は2,500人。お前たちは同期少ないなぁ、とその当時の40過ぎのオッサン方から言われました。何人くらいなんですか?と聞いたら、1万人以上かな?との返信になんて言う規模なんだと思った覚えがある。2,500人しか居ないと言われた我々同期、転職やら寿退社やら、辞めた人は何割くらいなのかな。知る術はない。

 

昨日会った同期は、同じ支社、同じ部門、同じ課、そして同じクライアントだった。

 

お互い朝早く出社して、やるべき事をこなしていたな。夜も同じように残業して。朝早く誰も居ないタイミングで出社していた真夏、ランニングシャツに短パン、ビーサンで現れたのに、ビックリしたが、適当なタイミングでロッカーに置いてたスーツに着替えて何食わぬ顔で仕事していたのが懐かしいw。クールビズなんて言葉なかった時代の中、カジュアルフライデーなんて言葉が作られて、社内はまるで、ゴルフ場のような也したオッサンばかりに。。。アロハ、ゴルフシャツ…。見てくれ的にヤ〇ザにしか見えない出で立ちの人も。。。角刈り、サングラス、アロハ着てたらそう見える…。

 

そんな中、新入社員の我々はクソ暑い中でもスーツにネクタイは当たり前と思って着ていた、そんな時代。

 

一度、その彼に学生時代に知り合ったテイラーの人を紹介したら、その彼はティンダリの生地のスーツ、それも12万くらいする、正に一張羅を作ったと。紹介してくれてありがとうなんて言われたな。お互い、歳は食ったけど、あの時代に色々と話したことは今でも覚えている。入社早々に長くて5年しか居ないよと言ったら、超絶驚かれたが、おいらはきっちり3年目で辞めた。辞めてから20年以上経つ。逆にお前は生き残れよと。優秀な事は分かっていたが、東大、理系、院卒にしか出世の目のない会社なのは現実、と。だからせめて、会社経費でMBAに行けよ、と言ったら本当にそうした。それができる優秀さよ。

 

この彼の努力は心底見倣うべきところがあると、今でも思う。

 

人生も、社会人人生も折り返しくらいなのだが、彼とは折を見て話をすることにしている。全く違う社会人人生を送っているが、シネコンのクライアントの案件で、お互い夜中に励まし合いながら、何かと戦っていたあの人生初めてのプロジェクトは、紛れもなく社会人人生の原点であり、学びは多かったと思っている。

 

そんなことの一部を話せたのが素晴らしく良かった。

 



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