ここ最近、結構実感するのがコンサルファーム時代の仕事の仕方。
綺麗に資料を作ることは正直どちらでも良く、真意が通ずれば特にどんなoutputでも良いと思っている。手書きなんて言うこと、以前はしなかったけれども、最近ノートに手書きで意図を共有することが多かったりする。どんなoutputでも、とても重要なことは物事を構造的に見るということである。これがなければ、どんなoutputでも多分ダメ。何が言いたいか、をどういう状況で、どんな順番で、など構造化されていないと何を言われても分からないと思われる。その構造化と言うのは、実はコンサルファーム時代にも習熟度を上げたかも知れないが、実は大学時代から結構ツリー上に物事を配して考える癖を付けられていたと思う。その当時は、A3の紙に付箋を貼り、シャープペンで線を書いては消し、書いては消しと同じレイヤーに配されるか否かを訓練されていたと思う。ICUの授業とは知らず知らずのうちにそういった技量を学ばされる場であったと思う。勿論、ICUの卒業生全員がそう言うトレーニングを在学中に受けたかは分からないが、そう言った形で授業中に訓練をする場が多かったのは間違いないと思う。コンサルファーム時代はそう言う構造化するトレーニングの土台があったために、資料の作成の際に役立ったことは間違いない。ただ、自分ではそれ以外の部分で出来ていないことが結構あったために苦労はしたが、人よりも長く働いたことによってそれ以外のスキルを身に付けられたんだろうなぁ、と最近特に思う。
人間、そうそう簡単に理屈では話は通らない。
だからこそ、心のこもった資料を作るのだが、やっぱり理屈は重要だったりする訳で…。と言うような葛藤をしている寸暇は実際に仕事をしている現場では考えていられず、今日もまたひたすら資料を作るわけですな。。
頑張ろうっと。
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