あれから11年が経ちましたなぁ。。。
あの日、あの時僕は大学生で、東京にいました。クラスメートの中に神戸出身の子がいて、朝、親から電話が掛かってきて大丈夫だって言ってたけど何だろうねぇ、なんてこと言っていた。今みたいに携帯持ってないし、当然i-modeもない状態。大学の授業を受け、そのままサッカー部の練習に行ってる時も特に情報収集手段などなく、何が起きていたかなんて全く知らなかった。
そんなこと気にも留めずにサッカーの練習をしていたあの日。GKだった僕は、セットプレーの練習中にフリーキックをキャッチした瞬間にFWの奴に空中でぶつかられて、そのまま頭から落ちた。。
らしい…
朧けにしか記憶が無い。。そのまま寒空の中、クラブハウスに担架で運ばれた。
そしてクラブハウス内のソファーに救急車が来るまで寝かされていた。クラブハウスのロビーにはテレビがあり、既に練習を終えてそこで寛いでいる人たちがいたことは覚えている。
しかしいつもと情景が違う。みんな食い入るようにテレビを見ている。しかしおいらは吐きそうな感じでヤバイ。しかし音だけは入ってきていた。
〝死者2000人を突破〟
とか何とか言っていた。。何だ、俺はまだ死んでないぞ、って心の中で思ったことは覚えている。意識朦朧だったから何を考えていたのかね。。(苦笑)程無くして救急車が到着して運ばれた。救急車って揺れるのよね、物凄く…おかげで更に吐きそうな気配。。。
近くの日赤に運ばれて、CTとかを撮った。うちのマネージャーが一応着いてきて、同時に自宅に電話してくれていたから親が迎えに来ていた。検査入院するか、なんて言う話もなく、特に問題がなかったのでその日は家に帰った。
風呂に入ると血流がよくなって、倒れたりしたらやだな、と思ったので、軽くシャワーだけ浴びて寝ようとした。だってサッカーの練習して泥だらけだったからね。寝ようとしていたのだが、どこの局もニュースで燃え上がっている情景などを映していた。
?!
と思っていたら何と阪神大震災。。全く知らなかった。発生から丸半日以上経っていた。死者が何千人と出ていたことなんて知らなかった。結構ショックだったのは、どこかの局のコメンテーターが、戦時下の情景のようですね、と言ったことだった。白黒の写真や映像でしか戦争の風景を知らない僕ら。こう言う状態になるんだ、なんてことを思った時は何とも言えない気分。実際、震災って言うのはそれ程大きいものだったんだね。。
特に僕には親類がいて誰かが死んだわけではない。元々うちの母親の方は関西の出身で、しかも西宮の辺りだったために、親の知り合いは亡くなっているかも知れない。しかし、今となって、婚約者の両親が共に神戸出身と言う事になり、おばあさんの家は、テレビに何度も出ていた御影公会堂の目の前だった。当然倒壊して、マンション建て直しを余儀なくされたと聞いた。色々と大変なこと。僕はその場で当事者ではなかったが、やはりこう言う話、当事者ではないが、風化させてはいけないな、と思う。
| Trackback ( 0 )
|
その後の変化に最近は驚くばかりだけど。
イタリアにいて、この話題今年は触れることもなかったかも。
去年のタイの津波も1年後の特番で見たけど、もう風化しかけてそうだなぁ。
犠牲者の方の冥福をお祈りいたします。
今でも神戸に行くたびに思い出しますね。
一生忘れることないと思います。
犠牲者の方のご冥福をお祈りいたします
色々と大変だったですよね。。。
がんばりましょう!