MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



りゅうりゅうからすると、ひいおばあさんにあたる、奥さんのおばあちゃんに会うために神戸へ。


伊丹空港からは高速バスで移動前提で旅程を組んだ。と、バス移動のその前に、機内で大変な粗相を致しましたみらんちゃんのおむつ交換をするために、速攻でトイレへね…。トイレで御開帳しましたところ、案の定の状態で、奥さんが、うちの奥さんがね、ビックリするくらいの状況で…w。いや、しゃーないんです。赤ちゃんですから、りゅうりゅうは!!

この時はまだだったかも知れないが、そのあと、、、w



服が汚れていることもなく、オムツ交換して、伊丹空港からまずは甲子園に向けて高速バスに。


甲子園駅行きのバスに乗るところがポイント。梅田とか、三宮とか、西ノ宮じゃなくてね。伊丹空港からは想定通り、あっと言う間に甲子園に着き、阪神電車に。早く行きたかったので、このルートにしたが、バッチリでしたね。


これ、甲子園駅のエレベーターですが、良いセンスですねぇ。
素晴らしい野球愛。



ちょっと電車は待ったものの、かなり順調に移動をしていく。そして、御影駅に。

折しも、昨日が阪神大震災の日でしたが、おいらはこの日は忘れません。幸いなことにと?と言うと語弊があるやも知れませぬが、直接的な親族で亡くなった方はいません。もちろん、多くの方が亡くなっており、とても痛ましい天変地異でした。

 

その日は、自分がまさに死にそうになった日。。。

 

その日の夕方、ICUのグランドでサッカー部の練習中に頭から落ちて救急車で搬送されると言うね…。搬送中にクラブハウスのチラッと見えたテレビで物凄い数の死者の報道が聞こえてきて、自分は別の場所だったのに、その中の一人になるのか、的な感じでちょっとおかしくなっていた、、、まぁ、その自分が死にそうな状況だったことは兎も角、その御影駅だなぁと思いながら到着。なんか、今は物凄く平和な風景だったけど、25年前のあの日から暫くは、大変な状態になっていたことを考えると、大変な復興状況を支えた方が居たんだなぁと感慨深くなりながらの到着でした。

奥さんのお母さんの妹夫婦のおじさん、おばさんに御影駅に迎えに来てもらい、おばあちゃんが居るところに。


おいら、小さい頃、名古屋に住んでいたのだが、そこから宝塚のひいおばあさんの家に度々訪れていましたね。幸いなことに、おいらは、ひいおばあさんの記憶が普通に残っているくらい、つまり、おいらが大きくなるまで存命でした。りゅうりゅうは、今日、初めて、彼にとってのひいおばあさんに会った訳ですが、そのことは残念ながら記憶には残っていないであろうね。けど、冒頭のように、写真を撮っておけたことは、本当に、心底良かったな、と思います。


自分には、支えてくれている家族があり、その家族の系譜の中で自分が生かされているんだ、と言うことを、大きくなってから実感してくれればそれで良いです。


うちの奥さんにとっても、自分のおばあちゃんには、中々会えない距離に住んでいるので、こういう機会で会えるのはとても嬉しいことなんだろうな、と思うよね。だから、今日、会いに来れたのはとても良かったとおいらも思う。もう、おいらには血の繋がったおばあちゃんは居ないけど、奥さん側におばあちゃんが居ることはとても嬉しいことだよ。


りゅうりゅう、また近いうちに、会いに来ようね。
次はビデオとかも撮っておこうね!



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