以前に偶然の確立、と言うエントリーをしたが、久々に偶然に遭遇した。
結構コマメに友達とはコミュニケーションするので、10年会ってない、メールもしてない、電話もしていない、なんて言う友達は以外と少ない。今回、おいらの言う偶然と言うのは、彼是15年ぶりに駅で友達に偶然会ったと言うことである。
渋谷で田園都市線に乗り換えるために階段を下りた。駅のホームで、奥さんに何時ごろになりそう?とメールをしようとしたら、予備校時代の友達がいたのである。この友人は予備校在籍時代はホントにほぼ毎日のように一緒にいたのであるが、もう14-5年も前の話である。お互い風貌も変わっている。
*おいらなんて茶髪(むしろブリーチしていたので金髪
に近かったけど)でロンゲでしたからな。。。
いやー、本人かなぁ、と確信度合い80%くらいで、当時呼び合っていたニックネームで呼びかけてみた。
〝バニー?!〟
〝おぉ、ひょっとしてけんくん?!うわぁ久々だけどよく分かったねぇ。〟
あ、因みにバニーと言っても男です(笑)。バニーガールじゃありませぬ。確信度合い80%は伊達じゃなかったですね。当たっていました。しかし、ここで会えたのはホントに偶然のようで、彼は今三軒茶屋に住んでいるらしいのだが、普段は渋谷までバスで通っているらしいのだが、この日はたまたま三茶の駅に用があって電車に乗ったらしいのだ。
おいらはね、色んな人に色んなところで遭遇するのであるが、これは目が良いからだと思う。視力の問題ではない。更に言えば、目から入ってくる情報がすぐに記憶内の情報インデックスと結び付いて、すぐに甦って来る速度が速いのかね。まぁ、おいらは明らかに人よりも歩いていたり、運転している時に色々なところを見ている。
昔、中島悟がF1パイロットだった時に、運転する時は程よく余所見?!をしていると言っていた。適度に色々と周りを見て歩いたり、動いたりすることが重要だと言うことだ。ほんの少しだけ余所見するだけで、恐らく人生2-3割は幸せになれると思う。そのために目を使う。人間、五感のうち、8割前後視覚からの情報を基にしているようである。8割と言うのは単に如何に目を使っているかと言うだけの話で、それを有効活用するかどうかは意識の問題であったりする。実際その少しの意識のおかげで、久々に人に会えると言う幸せに遭遇できた訳である。
少しばかりの余所見は幸せになるためのスパイスですぞ。
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同窓生だと、高校によって、およそ進学先は決まってくることもあって、学力レベルはドングリの背比べ的に同じであって、進学先の同窓生は、就職先等の進路も会社名が違ったり、公務員でも職場こそ違えども似通っています。それが、予備校は、頭が悪い奴の友人に何故か外交官がいたり、クリエイターがいたり、水商売の人がいたり多彩な人脈形成です。その後、合格したか、不合格となったか、志望校に合格したか否かで人生のレールが大きくスライドするんで当たり前と言えば当たり前です。そうなると、豆に連絡を取っていないと行方不明になることも多いんだろうと想像しています。久々の出会いがあって、何かありましたか。新しい発見とか、仕事上のコラボレートとか。折角なんで、何かあると良いですね。
そいつらとは、未だにつるんでいます。中には弁護士になった者や、シンクタンクに行った者、大手商社に行った者や、国会議員秘書になった者、裁判所に勤める国家公務員になった者、はたまた幸せに主婦になった者、と千差万別です。
仕事上のコラボレートもしていますよ。