おいらは1990年の3月に東京に引っ越してきた。
家族は89年の夏頃においら以外全員名古屋から東京に引っ越したので、おいらだけは父方の姉夫婦の家に高校1年生が終わるまで瀬戸の伯父、伯母の家にお世話になった。大体半年くらいだったろうか。おいらは名古屋の隣の瀬戸市から住んでいた名東区にある高校に通った。バリバリにサッカーしていて、毎日泥だらけのユニやジャージを持ち帰っては洗濯をしてもらったり。当時はまだ恐らく伯父は社長業をしていたと思う。大きな自宅で一部屋を借りて半年住まわせてもらった。
その後1990年の4月からは都内の高校に転入試験を受けて東京に移住した。
たった半年間程かも知れないが十二分にお世話になった。その伯父に先月名古屋に出張に行った際に会いに行った。一番最初の会社時代等は頻繁に名古屋出張をしていたのであるが、それ程会いに行く時間もなかったのだが、今回は時間を作って会いに行った。最初に電話をし不在ではないことを確認しようとしたところ伯父が電話に出る。矍鑠とした喋り方をして、別の名古屋近隣の親戚に末期がんだと聞いていたのでどれ程弱っているかと思っていたが、特に心配をするほどではないのかなと思ったくらいだ。しかし伯母は余命半年くらいかと言われているけど伯父さんには内緒にしておいてね、と。
うちの父親は5人兄弟。
父親以外は全て伯母。その伯父、伯母がまとまって旅行をするのはどうも恒例行事だったようだ。北海道にその伯母の一人が住んでいるのでGWに急遽元気なうちに皆でまた旅行をと言うことで奈良の伯母夫婦も含めて旅行をしたと聞いている。末期がんであることは告げずに。その旅行の話は特に何も聞いていなかったが、無事終わったみたいだった。
今回いきなり亡くなったと連絡があった。ある意味この前の名古屋出張の時に会っておいて良かった。元気な姿で、その後おいらは名古屋市内で会食があったので夕飯に誘ってくれたのだが残念ながらお暇をした。外食に行こうかと伯母は言っていたくらいだから、ホントに元気で良かったと思っていたのだけども。。。。
いつも笑っていた。
誰よりもお年玉を多くくれた。
メガネが印象的なカッコ良い伯父だったな。
他の伯父、伯母はちゃん付けで呼んでいたのだが、何故か伯父だけがくん付けで呼んでいた。
父方で8名、母方で2名の伯父、伯母がいるが初めて亡くした。今後そう言う話はあるだろうけども、やっぱり悲しいものだ。。。。。。。。
明日の予定は一日丸々埋まっていてどうしても休めない。会食が終わったと同時に弟と車で東名を飛ばす。翌日の朝には帰京するけども、哀悼の意を示すためにも、お世話になった感謝の意を示すためにも、無理をしてでも名古屋に行ってとんぼ帰りする予定。男は仕事で仕方なくお通夜にも告別式にも出られないと言うのが言い訳になるかも知れないと言われたがそう言う問題ではない。
しかし社長業をしていた伯父ならば、仕事優先だろう、と言うのかも知れないけど行きますよ、最後の挨拶に。
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