MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



今年から母校ICUの同窓会理事になったことは前回もエントリーしたが、再び行ってきた。

大学にとって本来同窓会は二人三脚であるべき存在なのだが、ことICUに関しては結構距離感があって乖離していたと言うのが誰の口からも出る。もっと言うと実は大学理事会との関係もあるので本来は三位一体となるべきものでもある。

大学側としてみれば、卒業してみれば〝金づる〟でもないし、ある意味無関係と言えば無関係だが、そうそう金と言う一つのファクターだけでは大学運営は成り立たないと思われる。魅力ある卒業生がいればこそ、あの大学に入りたいと考えるわけで、結局そう言った輝ける卒業生をきちんと大学側が意識しなければ、卒業生もロイヤリティーを感じることはないだろうし、最終的には関係値は瓦解するものと思われる。

ともすれば、クリスチャニティーと言う象牙の塔に陥るのがICUの悪い癖で、キリスト教的精神と言うともすれば実態が何も伴わない半ば空想的な概念に囚われてしまうのがオチと言うことも言える。これこれこうなっていくのが理想的である、みたいな論拠が往々にして上がり、しかしながらその実現性についての根拠そのものが薄く、実はそこがなければ何も生み出されもしない状況であったり、言動不一致で自家撞着に陥ることもしばしば見受けられる。たった二回の理事会出席からもそう読み取れることからも、実際にはそう言う話は今まで相当あったかと思われる。

実際、同窓会などと言うものは、ロイヤリティーと言う架空とも言えるものを論拠としてそこに集う人間にエモーショナルに訴えかけることが多いのは事実である。しかしながら、やはり同窓会費まで払って、などと言う人はやはり何らかベネフィットがなければ支払ったりしないであろう。勿論そう言うものだけではないことは重々承知の上。ただ、そう言う雲を掴むような、あたかも性善説に従って行うような会費徴収などと言うのは、田舎の100円野菜スタンドなら兎も角、同窓会運営には当てはまらないであろう。。

同窓会理事としては、実際同窓生にとって何がベネフィットなのか、そう言うことを考えて行きたいと思っている。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 『第1117回 後... 『第1119回 友... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。