MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



2013年の年末まで手伝っていたプロジェクトでは、徹夜してまで資料のQualityを上げていく作業はしたくない、ととんでもないこと言う輩と仕事をしていた。

そもそもクライアントに、それがB to BであろうとB to Cであろうと、お金をもらっている以上、それに対してのValueを出せない、若しくは出したくないのであればそう言う業態で仕事をすべきではないと思う。とある商社で仕事をしていたらしいが、ホント、彼みたいなサンプルだけみていると、その会社は世間一般的には超一流会社で入社が極めて難しいと言われているのだが、そんな程度の会社なのかな?と思ってしまう程だった。実際には、ICUの後輩で既に15年程仕事をしている男と、その翌年くらいに就活の面倒を見た早稲田出身の男と交えてご飯を食べた時にはその考えは間違いで、単純に見ていたサンプルが欠損品だったと言うことで、ホッと胸を撫で下ろした経験がある。これは単純に自分のミスで、そう言う仕事の出来ない男と組んだことがそもそも間違っていたと言う意味で、キャリアの中の1つの汚点、と言うことで忘れ去るだけではない形で反省を大いにしたものである。

クライアントに出す資料、output、納品物のことを総称して、コンサルファームでは「Deliverable」と呼ぶ。

これは提出する:Delivery ことがが可能:able な状態にするからこその言葉であり、自信を持って、Qualityをきっちり担保して提出することが出来る状態までしっかりと吟味してから使える言葉である。前出の輩はそれをしないと言っていたのである。これは金をもらうべきではない。当時は学生を相手にしてキャリアコンサルをしていたが、こんな酷い輩とは思ってもみなかったので心底がっかりしたものである。

以前のコンサルファームでは、形式上QAD : Quality Assurance Divisionと言う部門があったが、残念ながら、その部門は形骸化と言うか、純然たるコンサル出身者が居なかったためか、機能的ではなかった事実があった。


Deliverableの中身の問題として、ロジックフローがしっかりと構成されているのか、やコンサルとしてクライアントにdeliveryする際に提示する選択肢やそのメリデメ、プロコン等が分かりやすいか、などはどうも討議されていたとは言い難い状況だったことを覚えている。QADを経ています、なんて言ったところで、結論としてクライアントに刺さらなければ何ら意味は無い。次にまた御社にお願いしますね、とクライアントから言われるようなQualityでなければそれは即ち失敗である。Budgetの問題で、とか諸々理由を付けられて断られたと言うことはそれで終了であり、大概二度と発注はないものである。それに、そのクライアントが発注せずとも、こんなファームがあるから紹介しますよ、なんてことには恐らくならない。新規営業をし続けるなんてことを繰り返しているようではそれは疲弊への道筋であり、単に自転車操業なだけである。


そんなことを最近苞に感じるのであるが、自分が作る資料に付いてはしっかりと作り上げていきたいと思う。


それが真摯な態度であり、信用、信頼に繋がると信じているからである。時として人間関係が上手くいかない場合だってあるだろうけど、そう言うことばかりではない筈で、お前が嫌いだが、発注はしてやる、なんて言われたら本望?であろう。出来れば嫌い等と言われたくはないがw。。。



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