今回のBolognaは一人旅。
故に、一人で全部予定を決めている。何処に行こうか、何をしようか。その分、奥さんがおらず、多少感傷的になっているが、Brunch食べながら、マジで一人で泣いた...。朝、Facebookに載せた記事に返信とコメントをいただき、それを読んでいて涙が出てきたのであった。
おいらは1973年生まれでバリバリの団塊ジュニア世代。
1997年の年明けくらいの話。就活の直前に就職協定なるものがなくなり、渾沌とした中で就活した団塊ジュニア世代です。いつ就活を始めるのか、前年のことが参考にならなくなって...。そもそも我々の世代、入試からして大変でね。。。高校受験も大変でした。特に名古屋にいたせいで、偏差値もだけど、内申点重要視のお国柄。。。そして、東京に移ったが、おいら、2浪してICUだし…。いやぁ、もう、結果論、ICUで良かったと心底思っていますけどね。東大行っていたらどうなっていたことやら...。で、ICUと言うことをある程度意識しながら、就活、やりました。個人的な結果としては選り取りみどりでしたが、死ぬ程努力したからです。いや、して当たり前だと思っていました。人より2歳、歳食ってるから。そして物凄く色んな人に助けてもらった。最初、東大の大学院に行こうと思って、ゼミの先生の奥平教授に少し相談をしていたが、2浪もしている以上、大学院になんぞ行ける選択肢なかったんだよね。働くしかなかった。親に言ったら、あんたは、働くのよ、と。ですよねぇ、って...。それが1997年2月くらいかな。そろそろICUの冬学期が終わる頃でしたな。ちょい遅いタイミングとは分かっていて。。。
だからアホ程努力した。
テニスサークルの春合宿から帰ってきて、3月の第2週目から就活スタート。GWには内定いっぱいもらっていたけど、それまでの2ヶ月半で120人のOB/OG訪問して、ホントにやりたいことがその会社にあるか、めちゃくちゃ考えた。延べ人数で言うともっと会ってるね。大学として、東大に行けなかったコンプレックスの塊だったおいらは、就活ランキングは兎も角、仕事だけは絶対に1番やりたいことことが出来る、自分的に1番の企業に行く!と考えていた。結果、当時のランキング1位のNTTだったけど、それは他人が選ぶ話であって、おいら的にはやりたいことがやれることになる会社、と思って選択した。ホントにやりたいことは何か...?大学時代、自分のキャリアを死ぬほど考えた。いつMBAに行き、いつの段階で1本超えるようになるべきか、とか。
そして、多くの、ホントに多くの方々に助けて頂いたと改めて思う。
色々とお世話になった方の中で、親父の中高の同級生である、萩原 高さんとICUの先輩で当時伊藤忠にいらした梅木さんには一方ならぬ恩義、感謝を感じている。
萩原さんには何度エントリーシートを添削して頂いたことか…。今、考えると仕事中にオフィスに電話し、今からエントリーシート送ります、と何度もfaxしてその都度赤ペン入れてもらい、そしてその結果を直接聞くために、必ず会いに行っていたのは物凄く迷惑な話と言うか、なんと言うか…。必ずその都度、田町に会いに行ってたからね。。。押し掛けも甚だしい…(苦笑)。おかげで田町の近辺のこと、物凄く詳しくなってw。
そして、外苑前も。梅木さんにはホント色々と紹介していただいた。伊藤忠のICU枠は埋まったけど、リクルーターネットワークでお前がやりたい仕事がありそうなところに全部紹介してやる、だから今からオフィスに来て話せ、と言われ、かなり長い時間話を聞いてくださり、物凄く真剣に叱咤激励していただいた。梅木さんは、たまたまICUの就職課の名簿を見ていて、順番に自宅で電話をした繋がりである。夕方、就業時間が終わる間際に電話にたまたま出てくださり、話していたら、今から外苑前まで来いと言われたのを覚えている。そこで2時間近く話したのよね。
そして紹介してくださった会社10数社全てから内定もらった。
このお二人にはホントに、心底、これ以上ない程感謝し続けています。
ある時、田町で、『健ちゃん、もう俺のところに来んでよし』と言われた時、『そんな、まだ見て頂きたいです!』と意図を理解せず図々しいお願いをした。すると、『これならどこでもお前さんなら内定取れる。行ってこい!』と言われた。泣くほど嬉しかった。受験の失敗を取り戻すんだ、とやりたいことやる為に就活するんだ、と頑張っていたから。でも、就活は受験と違って公平さはない。萩原さんは、うちの親のことをよくご存知で、誰の子なのか知っている。コネがないなら努力するのみ、と言われた。別に、うちの親はどこぞの会社のお偉いさんではない。普通のサラリーマンの家である。それが良い悪いではなく、コネがあるなし、で言えばないだけの話。ある意味、家柄とかそう言うのに縛られずに考えられたから良かった。コネ、使えるなら使った方が良いと思うけど、意外とそれに縛られる人生もあるし。120人以上の方にOB/OG訪問をした中で、此の方程、ハードル高い方は居ない、と思っていた。多分、おいらが小さい頃のこともご存知の筈。この方からずっとずっと厳しい赤ペン先生をしてもらっていて、最後これ以上ないくらい背中を押して頂けて、更にネジを巻き直して頑張った。あれ程行きたかった電通と博報堂だけ落ちると言う、恩を返せなかったことが悔やまれるが…。それもまた人生だと。
ところで、相対的にも絶対的にも実はICUって就職率が悪い大学でしてね。
そもそも進学が他大より多いのと(国内外問わず大学院に行く人が多い)、留年が異常にいる。ICU用語で言う『ゴニヤ』。5 years目だから「5 イヤー」が「ゴニヤ」となるらしい。誰が作った単語が知る由もないが、変な造語と言うか、日英混合の、、、それは兎も角、就活しない、そもそも出来ない人が多々いる。感覚的には6割から7割くらいかな、普通に就活するのは。
そして、7対3か、divisionによっては8対2の率で女性が多い大学で。
明らかに日本の中で優秀な女子大生が集まっている大学なのだが、うちの大学、M字型雇用の改善が日本総体では改善しているのに、その逆行させることをしているのかな、と思う程、辞める人多い(苦笑)。1998年の卒業から20年経つが、知ってる女子の3割から4割は辞めてるんじゃないかと思われる。Harvardのように同窓会が人材派遣、紹介するべきだよ。実は子育てが一段落して暇しているICU卒の女子、物凄くいるんじゃないかと...。労働者人口減少が云々言うても、うちの大学の女子は宝の山のはず。ま、でも、うちの大学の同窓会では無理だな…(涙)。そして、残りの、同じID98の男が650人中、仮に3割だとすると195人が男子。このうち、就活したのが7割とすると140人くらいが卒業と同時に働いたのかと。この統計を見ると、1,000万円超えている人が5%。これは実は数十年変わってない数字。
仮にICUの同級生の男子、140人に5%を掛けてみると、1,000万越えが7人。
いやいや、そんな訳ないよな。ちゃんと聞いたことないけど、1本超えの同級生、両手以上の人数はいるはず。いや、もっといるな。去年の数値を元に書かれている記事だからおいら43歳で同級生が41歳、42歳とまさにこの統計の真ん真ん中。中にはメジアン超えてない同級生もいると思うけど、ICUの同級生は、ほぼ全員メジアンは超えているはず。
そう言えば、いつぞやの東洋経済だったか、何かの記事で生涯年収が3億超えているのはICUだけだった。
東大でも慶応でもなく、ICUのみ。どうやって調べたのかな?とは思ったが、これだけ辞める女子が多い中、唯一超えてるんだ!?ってその時思った。3年、4年くらい前の記事だけど。ハリーポッターの翻訳の方がお1人で統計数値を上げているのでは?とICU界隈ではそんな話になった程(笑)。
それは兎も角、ICUに行ってアホ程勉強し(これは全員やってる)、就活でもアホ程努力した。
ICUではね、ホント、マジで勉強したからね。他大の奴らより絶対勉強している。おいら、インカレで勉強会サークルしていたけど、そいつらより絶対勉強しているな、って思ったもん。700人くらいいる勉強会サークルだったけど、東大の一部の自頭の良いやつは別として、ICUは授業でホントに厳しいこと言われるからさ。そう言うの自信にすべき。でも、2年も浪人した悲哀と言うか、落ちこぼれか、と言う落胆ぶりを、挽回すべくめちゃくちゃ就活は頑張って来たつもり。働き始めてから20年以上経ったけど。。。まだまだ走り続けるが、やりたいことに近付けるよう、そして年収ベースで最低限以上稼げるよう頑張るのみだな。
そして、良い歳してきている自分は後輩の世話もし続ける。
これはICUの先輩の梅木さんから言われた言葉を愚直に実行しているのである。『良いか、池田、我々は小さな大学出身だ。俺が就活の面倒を見たことに対して感謝してくれるのなら、この先のICUの学生の面倒をとことん見ろ。それが俺に対しての感謝と思ってやり続けろ。』と言われたから。
最後の最後、外苑前で行き先を報告した時、
『これからは同じ社会人。ICUの名に恥じぬようお互い頑張ろう!そしてこれからもよろしくお願いします!』
と手を差し出された。
なんてかっこいいんだこの人は。。
こんな人になりたいと思ったし、努力を続ける楽しさがあるはずと感じた。
絶対、努力が楽しい筈なんだよ。
この人を見ているとそう思うしかない。
Brunchしながら、買ったばかりのSIMをiPhoneに入れた瞬間、Activationされ、Facebookのコメントがあったよ、とiPhoneが震えた。
まさにここに書いた御本人からの返信。
卒業以来、お会いしていないが、いつか一緒にゴルフに行けたらと思っていて...。
行けていない。
コメントを拝見して、泣いた。
多分、変な日本人だなと思われたと思う。
Bolognaのリストランテの店先でさめざめと泣いていたのだから...。
さて、この先の人生、どうするか。。。