MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



週末、実家に行き、自分のアルバムを持って帰ってきた。

 

今どきは、スマホで撮り、アルバムなどにはしないことが普通だ。だが、昔はフィルムを交換して使うカメラしか無かった。今や、ほぼほぼマニアと言うか、余程そちらの使い方を知っていてその有用性を分かる類の人にしか使われないだろうね。けどね、おいらたちの小さな頃は、親などがカメラで撮り、街のDPEと書かれているお店にフィルムを持っていき、そして数日して受け取る、と言うのが当たり前であった。と言うか、社会人になってからしばらくはそうだったし、なんならこの10年くらいの話だろう、普通の人がスマホでのみ写真を撮るようになったのは。

 

その結果のアルバムである。そしてその中の、卒業アルバムも幼稚園から高校まであった。これはおいらが小学校卒業の時の写真。

 

それらを実家に取りに行ったらその中に、今は亡き祖母からの手紙があった。消印は平成元年1月11日。おいら、高校受験の真っ最中だ。昭和天皇崩御により、色々な事が変わり、それを心配しておばあちゃんが手紙をくれたようだ。この時は、おいらは名古屋。名東区には極楽、と言う不思議な地名があり、うちは極楽一丁目だった。千葉に住むおばあちゃんが、手紙をくれていたんだね。小学校は極楽小学校。

 

30年も前の話だ。

 

そして、この夜中に、仕事を終え、次世代のみらんちゃんにミルクをあげ、オムツ交換をしてそろそろお風呂に入ろうかと言うタイミングで読んで、泣く…。大好きだったおばあちゃんが亡くなってからしばらく経つが、全然まだおいらの中に普通にいる。いや、心の中から居なくなることはない。

 

その手紙の内容は、時代、状況こそ異なれど、おいらにまだ刺さると言うことだ。

 

寧ろ、その時には泣いた覚えはないから、今の方がもっと心に刺さったんだね。大好きだよ、おばあちゃん。ありがとう、おばあちゃん。おいら、まだまだ頑張るわ。そう書いてあったからね。



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