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MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



ここ最近メディアに審判の誤審だとか重要プレーの見逃しなどが書かれることがまま垣間見られる。

確かにどう見ても一定ではないレフェリングしているシーンが多い。昨日のある試合の評価が書かれている某スポーツ新聞の記事に、誤審を活かせず、なんて言う表現もあった。誤審を活かせずって、、、そんなのはスポーツ新聞だからと言ってもう少し書き方を考えたほうが良いと思われる。まぁ今更マスゴミと呼ばれるレベルの人たちに事実を適切に伝える手段を求めても仕方ないのかも知れない。

ここで言いたいことは何かと言えば。。。

コミュニケーションの問題だと言うこと。サッカーの主審はアメフトや相撲、プロ野球などと違ってビデオ判定等というものが許されていない。試合を停めて、それではビデオ判定、とはならない。「流れ」というものが大きな要素を占めるサッカーの中ではそれはどう考えても無理だろう。しかしながら、試合を停める程ではないにせよ、選手とのコミュニケーションは試合中もっとはっきりと、解説者、サポーター、その他聴衆全てに分かるようにしても良いと思う。

ラグビーなどは好例だ。

何かラフプレーちっくなプレーがあった場合などは、両チームのキャプテンをレフェリーが呼び出す。今何があったから呼んだのか、そしてこのつぎ同じようなことがあった場合にはあの何番の選手をシンビン(10分間の時間限定退場)にする、などと警告を与えたりして、それをチーム内に情報共有させたりする。無論これはラグビーならではのコミュニケーション。ラグビーもアメフトなどとように流れはあるものの、度々立ち止まることが試合の中であるためにその行動が許される。

しかしそれはラグビーだけに許されるようなことなのか。

権威と権力は全くもって別物なのであるが、権威は周りからのレスペクトがなければ成立し得ない。そう言う意味で、そもそもプレーヤーからは、レフェリングにある一定以上のクオリティがなければレスペクトなどされない。一定の質が保たれない、どちらかに肩入れのようなことがあるとやはりレスペクトなどされ得ない。

しかし、レスペクトされないのは単に質だけの問題なのだろうか、と言うことだ。

きちんとコミュニケーションすれば起きてしまったミスなどはリカバリーが出来るのではないだろうか。レフェリーの下す結果はサッカーでは先ず覆らない。但しそれはルールに基づいた運用であって、完全無二の正しさが証明された訳ではない。ミスは起きる。しかしそれだけでプレーヤーがレスペクトしない、と言うことではないはずだ。きちんと試合の中でコミュニケーションしていく必要があるだろう。だからと言ってレフェリーだからと言うような上から目線では駄目だろう。昔あるところである先生がコミュニケーションを教えていた。しかし残念ながら学内では完全に浮いた存在で、お前にコミュニケーションなんぞ教えられたくないよ、と皆思っている。しかし本人は我、先生でござい、とこれでもかというくらい偉そうにする。残念ながら先生と言う立ち位置から権力だけはあって、権威など全くない典型的なパターンだ。換言すると裸の王様系の人であった。どうも漏れ出る話を聞くとどうもずっとアカデミズムにいた訳ではなく一般事業会社にいたらしい。これがまた実際に聞いていると自分自身は賢くていつも社内ではトップでした、的なことを授業の中で言う。しかしコミュニケーションとは机上の空論ではない。実際に誰も本当かよ、と信じない。そりゃそうだ。日頃のコミュニケーション見ているとその教えられるやり方ではきっとお前のようになってしまうだろうから誰も教えなんぞ実行したくない、と思う訳だ。

レフェリーもそうであっては行けない。それは実績重ねて1級審判になったかも知れないが、生モノ、生き物の試合を毎回完全にコントロール出来ることなどないのだから、軋轢を生まないように試合の中できっちりコミュニケーションすべきだろう。但し勿論バランスは重要。ベラベラと喋り過ぎるようなレフェリーでは逆に舐められる可能性だってある。自分自身の立ち位置やプレゼンスをきちんと見定めて、どのようなメッセージを出していくのが正しいのかを毎回きちんと考えるべきだろう。

工場のラインにいて、毎度同じことを間違えずに行う、と言うような仕事ではないのだから。目の前には22人のプレーヤーがいて、副審が二人いる。そして何万人ものサポーターがいる訳だ。一瞬にしてミスをすれば聴衆側かあのジャッジがくだされる。勿論だからと言って別にすぐに主審にブーイングをする等ということになる訳ではない。尤も、先日のワールドカップのイングランド対ドイツのような歴史的な誤審をした場合などは反応は異なるかも知れないが、それでもスタジアム全体から大ブーイングなどそうそう起こらない。逆にサポーター側だってそんなことしたくない筈だ。結果的にこのクラブのレフェリングはしたくないなぁ、とレフェリー側に思わせてしまい不利な判定に繋がるかも知れないのだから。

不甲斐ないプレーにはブーイングをするのはある意味当たり前。

しかし不甲斐ないレフェリングにはブーイングとか、マスゴミの面白おかしく書き立てるような表現は個人的には生産性を感じ無いし、建設的な意味合いをまるで考えられない。仮にレフェリーの技量のラーニングカーブがそうそう変動的にならないのであれば、今よりももっと適切なコミュニケーションをすることで変えていって欲しいと請い願うばかり。そもそもライトユーザークラスのサポーターはブーイング自体を怖いと思う場合だってあるんだし、そう言うことを誘発するような、コミュニケーションを含めたまともなレフェリングをきっちりこなして欲しい。何事もバリューがないのなら仕事なんぞするべきではないと思う。レフェリーにしてもインスペクションをしているのだから、これをもっと有効活用すれば良いのに。そもそもインスペクションを完全内製化してしまうから駄目なんだよね。そのインターナルコミュニケーションしているから、エクスターナルコミュニケーションが出来なくなるんだと思うんだ。

面白い試合見たいんだ。


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