MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



久しぶりに弐代目かやもりへ行って参りまして。

最初から最後まで堪能してきました。その中で気付いたことがちょっとあって。おいら、あまりあれが食べたいこれが食べたいとリクエストをするのは避けているんですね。いくら、ご亭主と長年の付き合いで、変に多少わがままを言っても、なんて思うのは、筋違いかと思っているし、その時に一番美味しいものを出してもらうのが楽しみなので。ある意味、定番的に出してくれているものもあると思っています。変えないものとして。ですが、この上の写真にある、アスパラガスなんかと一緒に出してもらったこのお皿なんかは季節によって変わるもの、と言う捉え方をしていて。この、舞茸だったかな、これなんかはこのお肉と共にいただくのがとてもとても美味しゅうございました。

また、このスープ仕立てのお肉。これだけ食べるのではなく、貝を包んで食べてと言われまして。



里芋なんかはこんがりじっくり焼かれていた上で、更にこのスープと共にいただくのが絶品だったんですが、メインはお肉。そのお肉を貝を包んで食べることでより一層美味しかったんですよね。自家製のポン酢がまた効いていて、絶妙な味わいと香りだったんですよねぇ。こういうのは変わるもの、なんですよね。



一方で、締めの方に入ってくると、昨日の中で使われた牛カツなんかは変わらないもの、なのかも知れません。そして、この肉寿司ね。これも変わらないもの、なんだと思います。



これをね、マンネリと呼ぶのか、定番と呼ぶのか、によってお店にまた行くか行かないかって決まると思うんです。おいらは後者だと思っていて。変わらないものと変わるものの相混ぜが、都度都度の楽しみになる、そう思っています。毎度、全く違うものばかりが出てくるなんてこと、ないと思うんです。逆に不安だと思うんですよね、全く予測が付かないっていうのも。このお店に行くときには、一定程度の安心感が絶対的に保証されていると分かっていて行きたいってのもあるんです。もちろん、全く新規で行ってみたら物凄く美味しかったと言うのも楽しみたい。

ただ、弐代目かやもりに行く理由はそうではなく、美味しさの種別として、変わるものと変わらないものとそのバランスを踏まえて、今日は何か異なるものが出てくるのかしら、と言うところで部分的なところでの楽しみを堪能しに行く場所と思っています。


締めの蕎麦なんかも蕎麦粉が変わったことで、まるで以前とは異なる風合いがありました。いつもこの手前の藻塩と山葵で食べるのが美味しいと思っていましたが、初めて、詰めタレで食べる方が美味しいのではないか、と思って。これ、変わらないものと思いきや、蕎麦の実の産地が変わり、確実に変わったもの、として堪能できました。こういうのが新たに発見できるのが堪らなく良いんですよねぇ。これはこれで絶品の蕎麦でした。以前の北海道のとは違って群馬県産の蕎麦の実から作られたそうです。こうも異なるのね、と言うことが分かるのはある意味常連の楽しみかもw。




また更に一歩進むと、定番かと思いきや、お肉の部位が違っていて、明らかに見た目一緒なんだけど味わいが違うよね、と言うようなそんな楽しみ方もあるんだと思うのよ。実際、昨日それが1つありました。何とは言いませんが、お連れした方、3回目くらいの来訪でしたが、前とは違った話で一花咲きまして。結果、部位が違ったからかぁ、なんて言うところが、大人の嗜みなのかなと思ったりして。


改めて楽しい会話も含めて、存分に堪能させていただいたことに感謝です。



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