昨日の朝、保育園へ送っていったとき、ギャン泣きしたみらんくん。
今朝は早起きして、眠い、眠いと言っていて、自宅から保育園へは行きたがっていなかったんだが、大雨の中、保育園へ一緒に。リュック背負って、レインコート着て、ヤンキースのキャップを被って。キャップの上からレインコートの帽子を上から被せて濡れないようにし。何度か風でめくれてしまったり、帽子を目深に被りすぎて、パパ見えないよーって笑いながら歩いて向かった。こういう何気ない日常が楽しくて楽しくて仕方ない。我が子が笑い、それを見て親のおいらも笑う。そういう光景は当たり前のように思えて、当たり前ではない。
君はやっと出来た我々の宝。
君が笑って成長していく姿だけを見ていきたいが、何かしらの葛藤があって、保育園に着いた後、帰ろうとすると抱っこーとせがみ、そして泣く。。。もっと小さい頃はあったけれども、ここ最近の彼の思考範囲を考えると、やりたいことが多すぎて、その順序性、優先度合決定が上手くいってないんだろうと推察する。色んなことがやれるようになったり、自分でやりたいと好奇心を全面に出した行動が増えてきており、それらを処理しきれていないんだと思う。だから、一定程度の成果=遊ぶ時間、はあったとて、それを処理仕切れていないまま保育園へ行くと言うことが堪らなく嫌だったりするんだろうな、と思われる。もちろん、ただ単に甘えたいだけの可能性だってある。そこは親だとしても分からないんだがね、真相は…。
しかし今日は泣かなかったね。
えらかったよ。
ちゃんとパパとお話して、どこで何をして遊んで楽しむのか、考えてくれたんだよね。
パパ、嬉しいよ。
いつもパパ言っているよね、「考えて」と。
考えて、それでも答えが出なければ、パパはいくらでも一緒に考えるよ。
そして失敗しても良い。全く問題ないよ。またリトライすれば良い。その失敗が余程取り返しの付かないことになるのなら事前に止めるかも知れないけど、やりたいことやれば良い。
それで何か困ったことが出てきそうならば、それでパパが助けるよ。いつも寝る前に言ってるでしょ、パパが守るよ、って。
こうやって一つ一つ考えて、一歩ずつ自分で歩いて、走って、休んで、また走って、って繰り返して自分の推進力を高めていきながら生きていくしかないんだよ、人生はね。考えた奴が勝つ。トライして、失敗しても立ち上がれる奴にだけ次の一歩が待ってるんだから。骨折したり、足が無くなったって、立ち上がり方はいくらでもある。走る方策なんていくらでも考えられる。一人で分からなかったら、パパが一緒に考える。今はまだ3歳だからね。
一昨日は泣かなくて、昨日は泣いて、今日は泣かなかった。
本当にえらいよ。
考えたんだよね。
パパ、大雨の中一人で傘さして帰ってくるとき、泣きそうだったよ。
泣くの我慢していたのが分かったからさ。
君のことが愛しくて仕方ない。
愛してるよ、りゅーたん。