MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



午後1時半頃手術室に入った。。。

手術前の説明では3時間は掛からないと思いますよ、とのこと。お腹開いてもし検査結果に反して転移などが激しい場合には手術はせずに閉じます、とも。そう言うものなのか、と思いつつ医者が言うことなので納得。と言うか本人的には納得しているのだろうか、、、昨日のやり取りを聞く限りどうもそこまで考えていないような気がする...昨今の医者は手術ミスなどにより医療訴訟を避けるためなのだろうか、容態が思わしくない場合には手術もしないそうな…

そう言うものなの、一般的に?!

とか言ってるうちに4時半過ぎ…
終わらない。
まるでドラマのようだ。
赤いランプではなかったのだが、オペレーション中のランプは付いていた。
忙しなく(せわしなく)行ったり来たりしていては精神衛生上良くないと思っていたが母親は普通に座っていた。

5時半近くになっていただろうか、ようやく手術が終わったようだ。
中から医師が出てきた。
一体誰が執刀したのか良く分からないままなのだが、、、
元々親父がこの大学病院を選んだのは前にも書いた通りとても単純。
泌尿器科の医長が自分の中高の同級生のお兄さんだから。
ただそれだけだったみたいだ。
他にも色々と前立腺ガンの権威などはいるだろうに、しかしここを選んだのは親友の兄だから。
実は親友の兄と言っても今までに一度も会ったことがなかったそうな。
しかも驚くことにどうもその親友の方、家庭の複雑な事情により、つい先日まで実の兄弟にもかかわらず会ったことがなかったと言う幻の兄弟だったそうな…

そんな人に手術を依頼する親父。。。

まぁ、それでも全く見知らぬ人に依頼するよりも安心が得られたのだろう。それでもそこをほぼ唯一のよりどころとして手術に望んでいた。安心料とは正にこのことを言うのだろう。昨日、母親が病室でふざけていたのはどうもマジにふざけていたっぽいのだが、親父は安心料を払ったのだから大丈夫と思っていたのだろうか…まぁ、これは余り聞いたところで建設的な答えが返ってくるわけではなし、不問に付す。

母親は一先ずのその幻の兄先生に、〝こんなタイミングでご挨拶で失礼は重々承知ですが、初めてご挨拶させて頂きます。手術ありがとうございました〟と。どうやら親父は手術前に会ったことがあったらしいが、母親は会ったことなかったようだ。確かに病室に来た主治医とは別の人だった。同級生の兄なので当たり前だが親父よりも随分上の人だった。まぁ、失礼ながら、外科手術だしこんな歳の人が実際にメスやら諫止使って手術なんぞしていないと思うけどこの方が執刀したのだろうか。それともいわゆる現場監督か?ま、実際は、主治医の若い女医さんがしたんだろうねぇ。手先の細やかさが外科は勝負だろうし。

しっかし、術後は、結構エグかった。。。

その幻の兄先生、事もあろうに全摘出した前立腺をビーカーっぽいものの上にそのまま置いて、手術室の前で、これが摘出した前立腺です、と説明し出す。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
。。。。。。。。。。。。。。。

ぶっちゃけ、見ていて気味の良いものではないことは確かなのだが、黙って聞く母親。ビビッていたと思うけど、普通に聞いていた。僕もここで吐き気を催すわけでもなく黙って聞いた。しゃーないよね。どう考えてもシチュはシリアスだし。そんなこと気にもせず説明し続ける先生。。。。

〝この黄色くなった部分がガンですね〟

(へぇ、ガンの部分って黄色いんだ。黒くなるのかと思っていた)

などと心の中で19へぇくらいあげていた僕。実際、こんなもの見たことあるわけないし、多分もう二度と見ないだろう。素直に黄色の部分に目を遣る。何だか目の前にあるものはつい何時間前までは親父の体の中にあったのは事実なのだが、妙にリアルなようで現実味がない。摘出した時に当然メスで切っているのでカパっと分かれているのだけれども、中に筋みたいな窪みがあって、あぁ、あの中に尿道って通ってたんだ、と妙に感心した...医者の説明によるとガンもさることながら前立腺肥大症になっていたために予想外の出血があった、そうな。そう言えば大きい。と言っても、当然正常な大きさのものなど見たことがないから比べようもないのだが。。。何かと何かを繋ぎ合わせたとか、どこそこの何とかは部位から遠かったが何とかした、と言っていた....動揺していたのか自分では何も覚えてない。勿論母親も覚えてないと思うが・・・・

とか何とかやりとしているうちも実は親父の目は覚めていなかった。術後30分は麻酔が切れないのだそうな。よって更に30分程待合室で待たされた。ピッタリ30分程過ぎた後、親父が手術室から出てきた。こう言う時、なんて言って良いか分からんものだね。実際、

〝おう、終わったな。。。〟

などと言ってしまった。そんなこと分かってるんだけどね。無言のまま看護婦に引かれて術後に入る病室に入っていく時に薄っすらと目を明けて皇族のようにチラと手を上げて反応した。お、生きてる。。。何て言って良いものか…若干涙が出てきそうになったのだが、それではまるで失敗したみたいだし、こうやって一先ず無事手術が終わったことを感謝することにした。

ここ最近、昔からの付き合いのとても大切な友人が、家族としては接している時に120%で接してあげなよと言葉を掛けてくれた。彼女、去年お父様を亡くしているので、完璧に説得力がある。。。

弟が仕事を真っ先に切り上げて職場から電話してきた。都合1時間程掛かって病院に着いた。実はその後に用事があったのだが、一先ず弟が到着するまでは待っていた。母親が、誕生日でも二人がそろってくれることなかったけど、今回は二人そろってくれてありがとうね、と言っていた。。病室の中では、狼狽していたのだろうか、弟が訳の分からんことを何か言っていた。こっちも親父が動くのかどうかを見ていて、何バカなこと言ってるんだとその時は思ったが今は何を言ったのか余り覚えてない…家族も動揺するものだ。。。

僕は医者じゃないのだが今回気付いたことがある。患者である親父も、見守る立場の母親も、両方ケアできるのは子供二人だけか、と再認識した。。。。

今更なのかも知れないがね・…
留学しようとし、その後もイタリアで働くことを志望している身としては、親を含めて祖母などの死に目に会えずとも後悔せずと決めている。国内で単身赴任するだとか、自宅から離れて一人暮らしするとかとは違う。留学とはそう言うものだ。しかし、今回は流石に帰って来た。

やっぱり帰って来たことは良かったと思う。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )



« 『第275回 入... 『第277回 術... »
 
コメント
 
 
 
Unknown (りんご)
2004-12-01 11:25:20
何と書いていいのか分かりません・・・

私もKENさんの今日の文章を読んでいて

涙が出てきてしまいました・・・。

家族って、大切な大切な、存在ですよね。

とにかく、手術が無事に終わって良かった。

KENさんのブログを読んでいる全ての人が、

日本中や世界中のどこかで、

みんな、そう思っていること、

そっと心の中でKENさんに声援を送っていること、

全てがうまくいくように祈っていること、を、

どうか心の片隅にでも置いておいてくださいね。



そして私が言うのもおこがましいのは重々承知の上で

あえて書かせていただいてしまいますが、

KENさんのお気持ちもいろいろと大変な中だとは

思いますが、

お父様とお母様のことをどうか支えて差し上げてください。

お父様の様態の回復が順調でありますように

お祈りしています。

 
 
 
ありがとう (KEN@Milano)
2004-12-01 12:11:00
今日本にいる間にやれることを精一杯やりますよ。

後悔ないようにね。。
 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。