MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



基本的に大学時代は分刻みとは言わない迄も、かなりせせこましく動いていた。

サッカー部、サッカーサークル、女子サッカー部のコーチ、勉強会サークルを主催したりしつつ、大学の授業には95%は出席していたし、家庭教師のバイトも週に3日から4日くらいしていた。それに加えて、大学生だし、ここはテニスでも、と思ってPapooseと言うICUの学内のテニスサークルに入った。


当時は2つしかICUの中にはテニスサークルはなかった。そのテニスサークルに入って週3回の練習も中々に楽しく。技術など全くないところから単に運動神経と体力だけでテニスをするのではなく、ちょっとずつ技術を教えてもらったり。ICUは夏休みが他大より早く始まる。6月下旬にはほぼ全員が夏休みになる筈である。そして、うちのテニスサークルは7月頭から軽井沢で夏合宿を行っていた。軽井沢の夏合宿、なんて如何にもチャラそうに聞こえるが、至極真面目にテニスをしていたな。

その夏合宿の宿がペンションベルレーヌであった。



当時、こんなバスあったのかなぁ、、、記憶なしw。



BBQしたり花火したのは間違いなくこの奥だったな。



我々の頃はOB/OGを合わせると100人くらいの参加者がいたような。。当然、テニスコートは人で溢れ返っていたが、目詰まりを解消するために、このペンションベルレーヌ以外の場所を借りてそこまで車で送ったり。



中はこんな感じでフロント前にあるソファーで夜な夜なダベっていたな。



当時から何も変わっていないと思う。この手前の食堂で朝とよるにご飯食べていたな。



こんな感じ。ホント変わっていない。因みに出た朝ご飯も変わってない。



当然、このスリッパも変わってないんだと思う。



1998年に卒業してからも何年かは後輩の手伝いと言う事で夏合宿に行っていた。だから2000年か2001年くらいまでこのペンションに行っていたような気がする。何時ぞやから山中湖に変わったんだよなぁ。2005年に日本に帰国した時は山中湖だったよ。と言うか、その前の2003年頃は山中湖だったかな。


何にせよ、大学時代の青春の思い出の場所でした。そんな場所に当時おるはずもない奥さんを連れて行って、泊まったりするなんてちょっと感慨深い。





前にね、大学時代の写真に私は写ってない、なんて槇原敬之の歌のような事言っていたから、それを変えたかったんだ。おいらにとっての大切な人が記憶の中にそろそろ埋れそうな場所で一緒に写真撮ってね。。それで当時との思い出のシンクロが出来るならいくらでも奥さんを連れ出して旅したいよ。


今は我々がお世話になった時の息子さん夫婦がこのペンションの運営されてました。





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 『軽井沢へふ... 『下仁田カン... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。