MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



土曜の昼下がり、MTGの為に田園都市線に乗車。

何故これ程混むのか、わからない程激込みの車内。三軒茶屋、池尻大橋と進むにつれてどんどん乗客が乗ってくる。そんな中、PS3をやり続ける馬鹿が1名。感覚的には乗車率が150%くらいか。朝のラッシュよりも混みあっていた。自分のゲームするためのスペースを確保するために他の乗客に肘うちしている。当たり前だがそりゃ怒る。その肘うちされた客、どう考えてもゲームをしている客よりも知的レベルは高そうだ。君子危うきに近寄らずと言うが我慢ならなかったのだろう。一言発していた。

『こんなに混みあっている中でゲームとは、、、』

パっと思いついたのはジョンスチュワートミルの自由論だった。ミルの自由論は対国家に対しての自由の確保と逆に国家が個人を制限する際の条件を論じていたと記憶しておる。この本が書かれた1859年当時のヨーロッパ、特にイギリスの政治・社会制度の問題を自由の原理から指摘していたが、現代社会では国家からの制約を日常的に感じながら生活している日本人は多分いないだろう。ミルが論じた『自由』とは国家の権力に対する諸個人の自由であり、これを妨げる権力も正当化される場合は他人に実害を与える場合だけに限定され、それ以外の個人的な行為については必ず保障される、とされていた。現代社会は、少なくとも日本は文明が発展する段階と言うには既にあらゆる意味で成熟しているし、逆に個性と多様性を十二分に享受している、いや、寧ろ享受し過ぎているくらいかも。国家権力による制限に関しては圧迫を日々受けるようなシーンは警察に逮捕されるような悪いことをしない限りはまずない。

しかし、国家権力から制裁、と言うようなシーンではなく、寧ろ部分社会においてきっちりルールを守れないお馬鹿が増えているのかも知れない。

上述のお馬鹿、逆ギレしていましたからね。。乗車率150%の朝のラッシュよりも混みあっていたタイミングで自分のゲームをする為に肘うちして注意してきた男性に逆ギレ。。。いやぁ、立派なお馬鹿と言う以外何者でもなく。状況を鑑みて何が適切な行動なのか、分からないと言う意味で真にお馬鹿でしょうなぁ。無教養と言うかね。残念なのは正当な機関から正当な制限として、必要な時に必要な措置が取られるとは限らない典型パターンだったことなのかな。。寧ろそんなタイミング良く制限される事はない訳で。。。私的制裁と称される喧嘩が始まるだけでしょう。一歩間違えるとその逆ギレに反応して乗車率150%の中で喧嘩ですからなぁ。。。

たまたまおいらは気付いたけど、周りの人はもし喧嘩が始まっても何故喧嘩しているのか分からんだろうしなぁ。

その場に居なかった警察とか鉄道会社の人間は、良くも悪くも喧嘩両成敗にするだろうし。そうなると何だか理不尽な気がするし。さりとてその喧嘩を仲裁するとか自分ではしない。個人的には何と言われようと関わりたくないし、移動のタイミングだから遅れたくないのが本音。ただ思うのは、そう言うお馬鹿な事をする輩はタイミング良く鉄道会社の人に捕まってくれと思うくらいなんだよなぁ。世知辛い世の中、正義感振り翳すなんて事がフックで喧嘩の仲裁で万が一命を落としても英雄視される一方で悲しむのは遺族。

MTG前の移動で極めて理不尽な感じを思いながら自由を履き違えている馬鹿が増えない事を祈っていた昼下がりでした。人の事なんだけど久々にお馬鹿な輩を見て大学時代に読んだミルの自由論を思い出したのは勉強しろという事か、、、




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